泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

教会の父母

ちょっと前の話ですが、春から他県の学校に通ってる娘が8月に帰省したので、サンクチュアリの教会に連れて行きました。教会長ご夫妻が時間をとってくださり、2時間程お話してくださいました。面談、というような堅苦しい感じではなく、娘もリラックスして話していました。


帰り道に娘は「お母さん感じのいい所だね。また行きたい!」と言っておりました。教会とご夫妻の雰囲気に好感を持った様子でした。


昨夜LINEでやりとりしてた時に「昨日は教会に行ったよ。よかったよ。」と書くと「すごくいい雰囲気だったよね。」と返って来ました。一度切りしか行っていないのですがかなり好印象を持ったようで、今まで教会に対してそのようなことを言うのを聞いたことがないのでちょっと考えさせられました。清潔で落ち着いた感じのお部屋、教会長ご夫妻の暖かいお人柄、自然な会話の流れ、などに緊張したりすることなく話せたのがよかったんだろうな、と思いました。そして教会に少しずつ人が増えているその理由をいろいろ考えた時、‘ 教会の父母 ’という言葉が頭に浮かびました。


私の所属してた教区では長い間よく食口の間で「母がいない」と言われていました。教区の母と言えば教区長夫人でサモニムと言われる方か代表婦人部長だと思いますが、サモニムはあまり出て来られず、代表婦人部長は実務、経済部門においての責任が重く、なかなか母、という感じではなかったことが多かったように思います。私の記憶ではむしろ食口に檄を飛ばし分別するタイプの方が多かったようです。たまに心情的で食口の話を親身に聞く方がおられたしても、実績面で不足だということで人事になったりすることもあったようです。そういう訳でなかなか母の役割を果たせる方がおられなかった、という状況ではなかったかと思います。


私が所属してた教会ではわりと頻繁に教会長が代わっていましたが、振り返ってみると食口が復興していた時は、心情的で 温かく細やかな気遣いをされる夫人がおられる時だったように思います。そのように考えると勿論父の存在は重要ですが、母の存在も大きいものだと感じさせられます。


私の地域のサンクチュアリでは最初突破口を開いてくださったご家庭の夫人が献身的に動いて母のように尽くしてくださり、また陰で支えておられるご主人やご家族がおられました。そして今はまた教会長として立たれたご夫妻が私たちを指導し育んでくださるので本当にありがたいことだと思います。神様やお父様、亨進二代王様ご夫妻との関係は勿論ですが、実体で父母のように歩んでくださる方々の存在は非常に大きなものだと感じます。


そのように考えてみた時に、はたと思わされました。これから家庭教会、氏族メシヤを成していく私達においても、その勝利の秘訣は父母の心情に立って歩めるか、ということなんだと。当たり前のようなことなのですが、改めて実感させられました。‘ 父母の心情、僕の体 ’ という言葉は昔から知っていたわけですが、どれだけ実践し実体化できていたかと反省することが多いです。


昔宣教地にいた頃、本当にいろんな問題があって大変な時に、国家メシヤの方から「オンマーの心情で」と言われていましたが簡単ではありませんでした。恥ずかしながらキレてしまったこともあります。後で自分の未熟さを反省しましたが……これからもきっと似たようなことがあるかもしれませんが、先輩方を見習って今からでも過去勝利できなかった心情圏を勝利できるように取り組んでいきたいと思います。


娘の一言でいろんなことを思わされた次第です。では、また。






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