泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

祈祷 173 〝 恨みを残し逝かれたイエス様の心情を慰労させてください 〟

🔵 祈祷 173


恨みを残し逝かれたイエス様の心情を慰労させてください




今朝は、1965年の新年に入って初めて迎える安息日でありますと同時に、主の降誕、1965年目を迎


える日でございます。数多くの人々は、メシヤの誕生日を自分たちの思い通りに決めて祝いましたし


、メシヤがこの地に来て人類とともに、世界とともに、宇宙とともに、どのような因縁と価値を決定


したのかも分からず、その方の名声だけを記憶して、メシヤの誕生日を祝いました。




しかし、きょうこのように集まった少数の群れたちは、今から2000年前にあなたの広く高いみ旨と


尊厳なる経綸によって送られたイエス様でありながら、かわいそうな立場に処していた彼の事情に、


心で同情しながら、その時にイスラエル民族が使命を果たせなかったことを、骨身にしみて考えない


わけには参りません。


この地上にあなたの貴い息子として生まれたその方は、天地創造の理念に背いたアダムを失ってしま


った悲しみを解怨するため、送られた方であったことを知るものでございます。彼を通してみ旨を成


し遂げられ、彼を通して栄光をお受けになり、彼を通して幸福の世界を築こうとなさった望みを成就


させるため、あなたがお送りになられたメシヤであるイエス様は、生まれるその日から悄々たる姿で


お生まれになりました。


数多くの人々がメシヤを待ち望みましたが、実際にメシヤとして来られたその方が分かりませんでし


た。そのメシヤは独りで神様の心情を抱き、神様の望みを持って生きるべき生活的な事情を持たれ、


人知れない中、みすぼらしい姿で現れ、哀れな身の上で十字架に掛かり、涙と血を流して逝かれたと


いうことを考えますとき、私たちの先祖たちが足らなかったことを、私たちがこの時間に謝罪申し上


げないわけには参りませんし、責任を負ったユダヤ教が使命を果たせず、神様に背いた罪悪を、私た


ちが謝罪申し上げないわけには参りません。数多くの歴代の私たちの先祖たちに血を流させた罪の歴


史を、神様に背いてきた数多くの人類の罪悪相を、私たちがもう一度、心深くたどって考え、悔い改


める時間となるようにしてください。




お父様! あなたの悲しみを私たちが察しなければなりませんし、イエス様の憤まんやるかたない事


情に私たちが同情しなければなりませんし、今まで血の路程を歩んできた彼の弟子たちの凄涼で、悲


惨な事情を悟ることのできる私たちとならなければなりません。


歴史的な恨みを抱き逝かれたイエス様を、個人的に慰労し、家庭的に慰労し、民族的に、国家的に、


ひいては世界的に慰労して差し上げることが、きょうメシヤの誕生日を記念する全体的な目的である


ことを、私たちが忘却しないようにしてください。


2000年の歴史は過ぎていきました。その間、悲しい事情がどれほど多かったでしょうか? お父様も


悲しく、イエス様も悲しく、聖霊も悲しく、キリスト教徒たちも悲しかったことを知るものでござい


ます。また、このように悲しかった恨みを解くための最後の終わりのひと日、すなわち皆が待ち望む


審判のその日が、近づいてきているということを知っております。積もりに積もったお父様の恨みを


解くために来られるメシヤを、再び迎えるべき立場にあるこの終わりの日の聖徒たちは、メシヤを待


ち望んだイスラエル民族のように、来られるメシヤに仕えることのできる心と準備を備えられずにメ


シヤを待ち望むだけではだめでございますので、私たち各自がこのようなことを自覚するようにして


くださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてのみ言を主のみ名によってお捧げ申し上げ


ました。アーメン。 ( 1965. 1. 3 )







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