審判に関する真のお父様のみ言 (2)審判の意味
歴史上に終末があるという話は、天を中心として見るとき、幸せな話です。審判という言
葉は、悪い言葉ではなく、福音です。悲しみの立場から数千年間呻吟してきた歴史的な恨を
解き得る、怨恨の心を持った息子、娘の恨を解いてあげられる一日にならなければならない
ので、そのような審判の一日が来なければなりません。
(1972・11・5)
今日の人類は、全て鉄条網圏内に捕らわれています。もし、この東西南北にいる警備兵を
全て倒し、鉄条網を全て撤去させられれば、人間は生き返ります。これを撤去させるための
行使は何かというと、大審判です。撤去しておいて、神様の一族は神様がもっていくので
す。
審判とは、全てを火あぶりにすることではありません。今日のキリスト教が言うような、
火あぶりにして殺すのではありません。殺すのなら、既に全て殺してしまったでしょう。鉄
条網を断ち切って、行きたい所に行きなさい、ということです。
(1962・10・28)
審判とは何かというと、清算です。清算して手本となり得るものをよく収拾し、新しい国
家編成時代の偉業として、残しておかなければなりません。
(1988・10・15)
終末には審判をします。「審判」という文字の意味を調べてみると、「審(つまび)らか
に調べて判断する」という意味です。正しくないものを打つということです。
(1963・3・16)
本来、神様の審判というものは、創造の当時にはありませんでした。堕落のために生じた
ものです。言い換えれば、サタンによって生じたものです。神様が愛する息子、娘を打つよ
うなことを、神様はできません。赦してあげてサタンから抜け出すことができるならば、そ
の赦しの道をいくらでも選ぶのです。
(1976・1・1)
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