泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

審判に関する真のお父様のみ言 (3)審判の基準

 神様は、長い歴史時代を通して、責任分担を知らない人間たちが「責任分担を果たした」


と言い得るようにするための摂理を繰り広げてこられました。ですから、絶対服従しなけれ


ばなりません。責任分担を完成し得なかったのは、神様のみ言に絶対服従できなかったから


です。したがって、第一の条件とは何でしょうか。責任分担を完成しようとすれば、神様の


み言に絶対服従しなければならないのです。神様が「取って食べるな」とおっしゃったみ言


に絶対服従していれば、責任分担を完成していたのです。


(1986・1・31)





 メシヤが審判する基準は何かというと、個人的に絶対服従したかということです。三段階


でよくしなければならないのです。先生によくすると同時に、息子、娘にもよくしなければ


ならず、自分の妻に対してもよくしなければなりません。そうしてこそ一つになります。こ


れからは家庭を中心として、家庭の囲いがあって、初めて個人が安息できるのです。


 その次には、家庭的に絶対服従しなければなりません。ですから皆さんは、子女たちをき


ちんと教育しなければならないのです。


 復帰歴史は、縦的な歴史を横的に蕩減復帰するのです。縦的な歴史は、旧約時代、新約


時代、成約時代です。成約時代は父母の時代であり、新約時代はイエス様、すなわち息子の


時代であり、旧約時代は祭物、すなわち万物の時代です。家庭は、これを横的に広げたもの


なので、自分の家庭を中心として、息子、娘も全てここに入ります。ですから、家庭が主体


と完全に一つにならなければなりません。先生の家庭を中心として、皆さんの家庭が必ず一


つにならなければならないのです。


 それは、縦的、横的に「家庭は全て絶対服従せよ」ということです。ここに負債を残せ


ば、それを再び成すためには三倍以上の力が必要になるのです。家庭的に絶対服従して、そ


の次は国家的に服従しなければなりません。国家的に一つになれなければ、世界的基準に行


けません。天国にも行けません。ですから、一つになって絶対服従するという鉄則の基準を


もって、これを伝統にしなければなりません。これが審判の基準になるのです。それ以上に


ならなければ国家基準にまで行けません。


(1972・5・9)










よかったら、クリックお願いいたします📗

×

非ログインユーザーとして返信する