泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

信仰者たちが疲れる理由

🔵 真のお父様のみ言


信仰者たちが疲れる理由



皆さんが指導者になろうとすれば、今後多くの人に接するとき、その人の正常な基準と非正常な基準、言い換えれば、悲しいときの基準とうれしいときの基準を判断できなければなりません。正常な基準を中心として見るとき、上に上がっていくときはうれしく、下に下がっていくときは悲しいということを、目だけ見ても、表情一つだけ見ても、すぐに推量れなければなりません。話し声が正常なときはこうであり、うれしいときの話し声はこうだ、良くないときは目の色がどうだと、すぐに判断できなければなりません。

話す語調や抑揚、態度を見て、あの人があのように話す背後には良くない何かがあるということを、神様と共に私が鑑定しなければならないのです。そのようにすれば、二人が会うとき、表情だけ見ても、「何かあったのだなあ」ということが、さっと分かるようになるのです。このように、皆さんが鑑定したことを実験するのと同じように、それが符合するのかしないのかを観察してみなければなりません。それがもし符合したと感じるときは、神様が私と共にいらっしゃるのは間違いありません。

ですから、生活圏内で、私の感情が神様と密着して同化するのか、反対となるのかを、最初に感じることを通して分析し、私の生活圏内で、どのようにすれば良い結果をたくさん残せるかを考えなければなりません。それが信仰者にとって最も重要なことです。通り過ぎる人を見ただけでも分かるのです。

それゆえに、最も複雑なのが人間です。ある人が教会に来て、祈祷をして座っていれば、その人をぱっと見ると、「元気があるなあ、元気がないなあ」という感じが伝わってくるのです。このように対人関係においても、その感じが伝わってきて、ある事や物に接する感情も伝わってくるのです。また、言葉を話すときにおいても、自分が共鳴体のような立場に立ち、これが破格的か、でなければ順和的( 注: 穏やかで安らかなこと )か、つまり和合するためのものか、そうでないかを直ちに測定しなければなりません。さらにまた何パーセントくらい直接的な結果をもたらしたかを分析しなければなりません。このようなことを皆さんが開発すれば、誰でも体恤信仰圏内に入っていけます。そのようなことを感じて暮らす人は、疲れることがありません。

今日の統一教会員たちは、天に引っ張られたり、天が離れてしまえば疲れてしまうのです。それは、体恤的信仰の重要性を知らないからです。信仰というものは、生活圏内で、神様の目的を中心として、私が接する前よりも接したのちに、より良い結果が訪ねてくるときは、どんなに迫害が来ても、そのまま押し通していくことができるのです。絶対に屈服しません。しかし、その結果がマイナスになるときは、どんなに力を出そうとしても後退するようになります。

ですから、後退する可能性があることは絶対にしてはならないのです。その被害は、どれほど大きいでしょうか。一度後退すれば、それを立て直すのがどれほど大変か分かりません。一度間違いを犯せば、それを補充するのがどれほど大変かを考えれば、落ちる可能性のあること、すなわちマイナスになる可能性があることは、考えることもしないのです。そのようなものは見ようともしないのです。また、そのような人とは接しようとすらしません。

それゆえに、初めて恩恵を受けるようになったときには、人をよく敬遠するようになります。物にも、やたらにあれこれと接することができず、単調な物にだけ接するのです。その人が日常的に欲望をもって動く可能性のある物には、絶対に接することがないようにします。そうでない物、すなわち無関心に接していた物にだけ接するようにします。言葉も自分を弁明しようとする言葉は話さないようにするのです。

実際の信仰生活において、霊的な体験はそのように起こるのです。皆さんは、そのような霊的な体験をすることができなくても、生活の中で感じ取ったことを分析する度数を高めていかなければなりません。

そのような段階に至れば、どのような現象が起こるのでしょうか。間接的な関係から直接的な結果を判断できる、このようなことがたくさん起こるのです。すなわち、第三のこととして、私とは何の関係もないことでも、関係を結ぶことによって、計画的ではないのですが、偶然に体恤的な感情を感じることができる体験をするようになるのです。このように努力するようになれば、第三のこととして私と関係ないことであっても、ぱっと感じ取ったことを通して、「関係を結ばなければならない」と考えるようになります。このように生活圏内において、発展できる動機をいくらでも見つけることができるのです。



( 「後天時代の生活信仰」第4章 体恤信仰と侍る生活 第1節 体恤信仰の重要性 より )






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