讃美歌521番 「キリストにはかえられません」
讃美歌というものを沢山知っているわけではありませんが、学生時代に歌ったことのある中で大好きだったのがこの曲です。最近よく心に浮かび口ずさんだりしています。ミッション系の大学に通っていたのでチャペルの時間というものがあり讃美歌を歌っていました。私はクリスチャンではありませんでしたが、友人や先輩には洗礼を受けてる人が何人かいました。
「私の洗礼名はマリア」「僕の洗礼名はペテロ」そんな会話が普通に飛び交っている環境でした。
若き日に受けた影響というものは小さくないと思います。私が統一原理に出会ったのは卒業後何年も経ってからでしたが、学生時代にキリスト教から受けた影響が受け入れる土台になっていたと思います。
5年前、本当に久しぶりに当時懇意にしていた友人数名で集まったのですが、その頃は20歳そこらの若者であった我々も50代のおじさん、おばさんになっておりました。その中の一人の男性は最近プロテスタント教会で洗礼を受けていました。一人の女性はクリスチャンではありませんが、イエス様を当時から慕っていた友で、最近コルベ神父の足跡を訊ねてポーランドまで行ってきたのよ、と語っておりました。
私はホテルの部屋やロビーなどでこの2人にお父様を証しして聖酒を飲んでもらいました。素直に飲んでくれたので私の方がびっくりでした。遠方ということもあり、私もその後家庭連合からサンクチュアリに移るなどいろいろあって伝道は思うように進んでいないのですが、改めて意識していきたいと思っています。
うちの主人は多くを語らない人ですが、もう10年以上前から「教会から清さがなくなった」としきりにつぶやいていました。私がはっきりとそのように感じだしたのはもう少し後なのですが、神霊と真理、と言いながらも拝金主義に陥っていった故でしょうか、確かに復帰された当時に感じた清さが段々と失われていったと思います。
最近ある家庭連合の食口が「教会は最近霊界がおかしい、仏教霊界のようだ」と嘆いていたそうですが無理もないかと思います。そういう言い方は仏教徒の方に失礼だとも思いますが…
家庭盟誓から “成約時代 ”を削除することで根が切断された、と亨進様は「神様、王妃を救いたまえ」の説教の中で語っておられます。摂理歴史との絆が切れた、と…旧約、新約、成約の絆が切れたと…
お父様は「先生がじっと家庭盟誓を聞いてみると、どれ一つとして抜き去ることのできない内容で作られているのです」(「天運と聖霊の宿る八大教材・教本」より 2009・5・22)と語られています。
ですから成約どころか新約の清さも感じられないのではないかと思います。
前置きのつもりが長くなってしまいましたが、「キリストにはかえられません」の歌詞を掲載します。You Tubeでいろいろ出てますので是非聴いてみられてください。癒されます。曲の作者や背景についても書かれています。
1. キリストには代えられません
世の宝も また富も
このお方が私に代わって死んだ故です
(くりかえし)
世の楽しみよ、去れ 世の誉れよ、行け
キリストには代えられません 世の何物も
2. キリストには代えられません
有名な人になることも
人のほめる言葉も この心を引きません
(くりかえし)
3. キリストには代えられません
いかに美しい物も
このお方で 心の満たされている今は
(くりかえし)
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