泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

ガラケーからスマホへ

話は前後しますが私が長く愛用していたガラケーを止めてスマホに変えたのは2013年の初めの頃でした。これは自分が望んでと言うよりは副業としてやってる仕事上必要に迫られてのことでした。

仕事先から言われたので変えないわけにはいきませんが私自身は機械音痴だし保守的な人間なのでスマホを持つことはあまり考えていなかったのです。

当時同世代の女性で持ってる人は少なくたまにそんな人を見ると「わ〜、すご〜い!」と尊敬と憧れの眼差しで見ておりました😌 そんな私でしたので持ち始めた頃は大変でしたがこのことがその後の私にとって大きな転換点になるとは当初は知る由もありませんでした。


今思えば私は教会内情報弱者だったのです。自分が情報弱者だなんて思ってもいませんでしたが今ではそのことがよくわかります。

教会にいてそれまで私たち一般の末端食口が得る情報と言えばみ言の書籍、責任者からの会議報告、礼拝や集会で聞く内容、機関紙や映像から得るみ言や講話、などです。それだけでも結構な量であり

勿論全部の書籍をくまなく読んだりすべての集会に参加するというのは簡単ではありませんがそれは自分の都合であって教会から提供される情報自体は豊富であると私は思っていました。


問題は私たち末端食口に提供される情報では真実統一家においてまた真の御家庭において何が起きてきたのか、また現在どうなっているのか全く知らされていなかったということです。数年前ある元公職者の方とお話した時「教会の情報は統制されてきましたよ。お父様からのものであっても都合によって流したり流さなかったりするんです。」と聞いたことがありますが今になってどれほどひどくそれが行われて来たのかを実感しています。


私は幸いにしてスマホ(パソコンでもタブレットでもなんでもいいと思いますが)という情報ツールを入手するきっかけを得ることによりやがて情報弱者と言う立場から脱することができましたが家庭連合においては沢山の食口(特に婦人食口)がまだ何も知らず現実とはあまりにも乖離した認識で教会生活、信仰生活をしておられます。そして「ネットは見てはいけません」、「サンクチュアリに行った人と授受してはいけません」などと言われて囲いの中に入れられています。教会に真面目に通ってる食口であればあるほどこの状態で本当に皮肉なものです。


私は何とかして彼女達が真実に目覚めることができるよう毎日祈っていますが長年にわたる情報統制と刷り込みによる間違った認識から目覚めるのは簡単ではありません。

しかし、かってそうであった私が神様の導きによって目覚めることができたようにすべての姉妹たちが導かれること心から祈る次第です。


それでは、また。猛暑が続きますので皆様どうぞご自愛ください。







よかったらクリックお願いいたします。

暗いトンネル

それまで知らなかった教団上層部の腐敗を知ったことは私にとって決して小さな出来事ではありませんでした。驚きから怒り、そして深い悲しみを覚えました。一個人の不正であれば弱い人間なので間違うことがあるかもしれません。本人が悔い改めしかるべき処分を受ければよいのです。がそうではなくそのような体質が上層部に蔓延していること、本部も説明責任を果たさないこと、勇気を持って声をあげた食口が事態をわかっていない心酔派の食口達に誤解されかえってサタン扱いされていること、根本的な自浄作用がないことなどに憤り、落胆、失望、幻滅などの思いを持ちました。


神様を信じメシアを信じ原理を信じて人生をかけてきた教会がいつの間にこのようになってしまったのだろうか? 思えば2,000年代の後半くらいから教会の体質が変わってきたのを感じることが多くなってはいました。一人一人の食口は良い人が多いのにこの閉塞感はなんだろうか‥‥


教会がどんなにマスコミにたたかれても恥ずかしいと思ったことは一度もなくむしろ誇りを持っていた私ですが心底恥ずかしい組織だと悲しく思いました。


そのころの私は今までどおり生活し、活動していましたが心はずっと晴れませんでした。車を運転しながら祈祷したり歌ったりすることが多かったのですが当時なぜかよく歌っていたのが中島みゆきの

「友情」です。



悲しみばかり見えるから


この目をつぶすナイフがほしい


そしたら闇の中から


明日が見えるだろうか


限り知れない痛みの中で


友情だけが見えるだろうか





企みばかり響くから


この耳ふさぐ海へ帰るよ


言葉を忘れた魚たち


笑えよ 私の言葉を


終わり知れない寒さの中で


友情さえも失っている





この世見据えて笑うほど


冷たい悟りもまだ持てず


この世望んで走るほど


心の荷物は軽くない


救われない魂は


傷ついた自分のことじゃなく


救われない魂は


傷つけ返そうとしている自分だ‥‥‥



またある時は亡き父が好きだった鶴田浩二の歌が浮かんだりするのでした。

( 古い奴だとお思いでしょうが😢 )



何から何まで真っ暗闇よ


すじの通らぬ ことばかり


右を向いても左を見ても


莫迦と阿呆の絡み合い


どこに男の夢がある‥‥‥( 男を女や食口に替えてもいいですね☺️)




今日はちょっと脇道にそれてしまいましたが当時の私の偽らざる心境を綴ってみました。暗いトンネルの中にいるような時期でしたがまだまだ抜け道は遠くさらなる心の放浪が続くのでした。









よかったらクリックお願いいたします。

腐敗の構造

数年前のことですが教区に激震が走りました。

韓国人の責任者の公金問題が発覚したのです。

この問題は実に根が深く、表面的に見れば一人の責任者に公金問題があることがわかり離任した、ということなのですがここには書ききれないくらいの様々な内容がありました。


この方に関してはどういうわけか実に様々な角度から情報が入りました。信じられないような内容が沢山あり(パワハラ、セクハラ、心情蹂躙など)多くの食口が苦しんでいました。 不思議なことにこの方に対する評価は真っ二つに分かれており冷静、客観的、批判的に見ている食口と素晴らしい指導者として信奉、心酔している食口とでは180度違っててそのことがさらに教区を混乱させていました。


私はこの方が就任する前からいろいろ聞いていたので “一体実際にはどういう人なんだろう?”と意地悪おばさんのような目で見ておりました👀 そして一見信仰者のように見えるけれど二枚舌の二重人格者であり飴と鞭を巧みに使う人であり宗教家ではなく宗教屋なんだなあという結論に至りました。


問題はそのような人が何故繰り返し人を指導する立場に立てるのかということだと思いますが本部の対応を見たり後任者の発言、いろんな情報により信じ難いことですが教団内上層部に腐敗の構造があることを知りました。


今は冷静に書いていますが当時の私にとってこのことは大、大、大ショックだったのです。男性の食口は結構わかっていたようですが私にとっては神様を信じメシアを信じ、霊界を信じる人たちがどうしてそんなことができるのかと‥‥


主人は普段は穏やかな人ですが当の韓国人責任者に対してというより本部の対応に対して憤りを露わにしておりました。「何故曖昧に処理して食口にちゃんと説明しないんだ!説明責任があるだろう!」と。


私が所属してた教会の婦人たちは殆どことの真相を知りません。私は一人の区域長に話しましたが

こう言われました。「皆には言えない‥‥苦労して献金してるのに‥‥心が引き裂かれてしまう」と涙ぐんでいました。


私も教会長が心酔派の方だったのであえて言うことができませんでしたが今でも純粋で善良な婦人達のことを思うと胸が痛みます😢








よかったらクリックお願いいたします。