泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

暗いトンネル

それまで知らなかった教団上層部の腐敗を知ったことは私にとって決して小さな出来事ではありませんでした。驚きから怒り、そして深い悲しみを覚えました。一個人の不正であれば弱い人間なので間違うことがあるかもしれません。本人が悔い改めしかるべき処分を受ければよいのです。がそうではなくそのような体質が上層部に蔓延していること、本部も説明責任を果たさないこと、勇気を持って声をあげた食口が事態をわかっていない心酔派の食口達に誤解されかえってサタン扱いされていること、根本的な自浄作用がないことなどに憤り、落胆、失望、幻滅などの思いを持ちました。


神様を信じメシアを信じ原理を信じて人生をかけてきた教会がいつの間にこのようになってしまったのだろうか? 思えば2,000年代の後半くらいから教会の体質が変わってきたのを感じることが多くなってはいました。一人一人の食口は良い人が多いのにこの閉塞感はなんだろうか‥‥


教会がどんなにマスコミにたたかれても恥ずかしいと思ったことは一度もなくむしろ誇りを持っていた私ですが心底恥ずかしい組織だと悲しく思いました。


そのころの私は今までどおり生活し、活動していましたが心はずっと晴れませんでした。車を運転しながら祈祷したり歌ったりすることが多かったのですが当時なぜかよく歌っていたのが中島みゆきの

「友情」です。



悲しみばかり見えるから


この目をつぶすナイフがほしい


そしたら闇の中から


明日が見えるだろうか


限り知れない痛みの中で


友情だけが見えるだろうか





企みばかり響くから


この耳ふさぐ海へ帰るよ


言葉を忘れた魚たち


笑えよ 私の言葉を


終わり知れない寒さの中で


友情さえも失っている





この世見据えて笑うほど


冷たい悟りもまだ持てず


この世望んで走るほど


心の荷物は軽くない


救われない魂は


傷ついた自分のことじゃなく


救われない魂は


傷つけ返そうとしている自分だ‥‥‥



またある時は亡き父が好きだった鶴田浩二の歌が浮かんだりするのでした。

( 古い奴だとお思いでしょうが😢 )



何から何まで真っ暗闇よ


すじの通らぬ ことばかり


右を向いても左を見ても


莫迦と阿呆の絡み合い


どこに男の夢がある‥‥‥( 男を女や食口に替えてもいいですね☺️)




今日はちょっと脇道にそれてしまいましたが当時の私の偽らざる心境を綴ってみました。暗いトンネルの中にいるような時期でしたがまだまだ抜け道は遠くさらなる心の放浪が続くのでした。









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