泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

転換の時

2013年,2014年は、私にとって暗中模索の時であったと思います。日常的にはそれまでと変わりなく過ごしていましたが、心にはいろんな疑問を抱えて焦燥感が益々募っていくようでした。そして外的にもやがて限界が来て、2014年末には大きな転換の時を迎えるようになりました。

それまで約20年間所属していた教会に所属変えを申し出たのです。


一番大きな理由は家庭の事情でした。介護の必要な家族の福祉施設への通所の問題で、家から遠く施設と反対方向の教会に週に数回通うことが難しくなったのです。それまで教会での責任分担、関連機関での活動を不足ながらやっていましたが、家の経済が本当に厳しいにもかかわらず、始めた副業になかなか時間をとれない、という悩みもありました。結局全てのことが中途半端で、しかも時間的、肉体的、精神的に段々限界になってきたのです。


本来一番やりたいこと、やらなければならないと思ってきたのは訓読家庭教会でした。お父様の「100万訓読家庭教会を勝利すれば日本は救われるよ!」というみ言がいつも意識にありました。教会から遠いこともあって伝道対象者を家でケアすることもしていましたが、ある程度まで勉強してもらってもマスコミや献金に躓かれて霊の子女となったのは結局1人だけでした。


2014年の後半には教会の様々な問題もわかるようになり、深刻に悩みました。“このままでいいのだろうか?” と。元責任者の先輩家庭で昔から家庭教会に意識があり、実践もしておられる方に相談したりもしましたが「区域長をやりながら家庭教会は難しいと思いますよ。あなたも苦しんできたと思うけど決断してもいいんじゃないですか」というアドバイスをいただきました。

私ももはや組織の中で主管されながらやることに限界を感じていましたし、組織そのものがおかしくなってる中でやることにも本心が納得しなくなっていたので、このアドバイスは身に沁みたのです。


長年共にしてきた婦人食口やお世話している区域の方への思いもあり本当に悩みましたが、12月のある日に “このままの状態で5年10年やったとしても、すべてが中途半端で何も変わらない。家庭教会も絵に描いた餅で終わってしまう。自分の本心が願うようにしよう!” という結論に至ったのです。

主人に話すと「その方がいい」という答えでした。主人も教会の状況や私の様子を見て感じるものがあったようでした。


そして自宅からより近く施設にも近いところにある地域への所属変えを申し出たのです。そこには教会はなく市内にある中央教会の所属でしたが週に1回の礼拝は遠くなってもそちらに行こうと思ったのです。教会長の反応は予想はしてましたが良いものではありませんでした。私も迷惑をかけて申し訳ないという思いはあったのです。しかし次の言葉には驚くと言うかがっかりしました。「直ぐには許可できませんよ。私のここの管理者としての立場があるし、あなたには区域の人を管理してもらってるんだから‥‥」と苦々しい顔で言われたのです。確かにそれは教会長の本音だったかもしれませんが私は内心 “区域の人を管理する、なんて自分はそんなこと考えたこともないのに‥‥せめてお世話すると言ってほしい” と思っていました。また家庭の事情を話しているのにそのことに関する言及、配慮など一切なく寒々しい思いになりました。


その教会長は決して悪い人ではありません。若い日に志を立てて献身された方です。でも私は常々思っていたのです。“牧会者というよりはお役人だなあ‥‥” と。そして中央集権の組織がかっての統一勇士をそのようにしてしまったのではないかと今感じている次第です。


結局所属の件は年明けまで保留になりましたが、後に希望通りになりました。そしてその1月に私は「沈黙を破って」に出会うようになるのでした。


それでは、また。





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亨進様のfacebook

話は前後しますが、ある日のこと昔宣教地で出会った人から手紙が来ました。当時大学生だった男性で伝道して祝福も受けたけれど親の猛反対があり、本人もまだ幼くて結局祝福は実らず、その後教会から足が遠のいた人でした。私はその件で現地で当時一緒に歩んだ元教会長に連絡する必要がありましたのでやっとのことで(何しろ機械音痴なので😢)彼にメールを送ったのですが、届いた返事は一言「私のfacebookを見てください」でした。


当時の私はfacebookが何かもよく知らず、出会い系サイトのようなものだと思ってたくらいなのですが、それで娘に泣きついて何とかできるようにしてもらった、それが私がfacebookを始めるきっかけでありました。


やり始めてみてこれは便利なものだと思いました。地球の裏側の人とも瞬時に交流でき、写真や動画も送れるなんてすごい、と思いました。また友達検索、申請をすることで各地の氏族、知人友人、懐かしい食口や同級生とも繋がることができるので素晴らしいと感動し、一時は友達を増やすことにはまっておりました☺️ そして冒頭に書いた男性とその弟さんとも交流ができるようになりました。


そして私はある時気がついたのです。友達申請で繋がった食口の何人かが亨進様のfacebookと繋がっていることを。プロフィール写真を見ると、ヨナ様と小さなテントみたいな物の下に座って笑っておられます。不思議な写真だなあとおもいました。でもそのお顔が懐かしく感じられ、私は友達申請を送って見ました。すると承認されて私も亨進様のfacebookを見ることができるようになったのです。


当時亨進様のfacebookに掲載される写真を見て私が感じたことは、「どうしてこんなアメリカの山の中におられるのだろうか? どうしてお母様のお側におられないのだろうか? 何かの修行だろうか‥‥」というような疑問でした。何しろ質素な服装で火をおこしたり、コップを作ったりされてるような写真だったので、ただただ不思議でした。そして私も普段忙しい生活をしていたので、いつも気をつけて見ていると言うよりは、更新画面が目に入った時にちらっと見るくらいになっていきました。


このことがきっかけで私は2015年1月の 「沈黙を破って」に出会うことができるようになるのですがまだこの頃はそのようなことは夢にも知らず、教会のことで悩みながら試行錯誤の日々を過ごしておりました。



それでは、また。





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平和の主人、血統の主人

お父様ご聖和後の霊的に混沌とした状況の中、私は外的な歩みの中でいつの間にか遠ざかってしまったお父様にまた近づいていきたいと切実に思いました。


そのような思いでいろんなみ言を読んでいましたが、その中で特に気になってしょうがないのが「平和の主人、血統の主人」でした。この本は小さな小冊子ですが一度読んでも意味が本当にわからないのです。同じ小冊子でも「天国を開く門、真の家庭」は読みやすく理解しやすいのと対照的です。どちらも八大教材教本ですが、初めて読んだ時 “お父様は何故これを八大教材教本に指定されたのだろうか?”と思いました。本当に難解なのです。ただ何かとてつもなく重要なことが書いてある気がして

折に触れ手に取って読んでいました。


この本は2009年7月7日、ニューヨークのイースト・ガーデンにおいて、約4時間にわたって語られた内容を要約し整理したものです、と前書きにあります。つまり原文はもっと長かったということです。

そして後書きには、解読不能で不透明な部分は削除した、とあります。

初めは何気なくこの箇所を読んだ私でしたが、後にこれはとても重要なことだと思うようになりました。


何度読んでもなかなか理解できなかったのですが、後にブログ村で777さんが解読をされていることを知りいつも読ませていただいていました。とても緻密に研究されてていろんな示唆を与えていただき、やはり本当に重要な本でお父様の大切なメッセージが込められていることがわかりました。

それに関しては皆さんが直接777さんのブログを読まれ参考にされたら良いかと思います。(今は充電中で最近新しい記事の更新はしておられないようですが‥)


私がここで言いたいことは、前の記事の中でも触れましたが、要約され削除されて147ページの本が

平和経の中ではさらに削除されて僅か16ページになって収録されているということです。現在家庭連合ではお母様の赤い3冊の経典が天一国経典とされていますのでこの重要な本が本当にないがしろにされていることは否定できない事実だと思います。


また以前ネットで指摘している方がおられましたのでご存知の方も多いかもしれませんが、削除のみならず改竄もされています。それは次の箇所です。


🔴[元の「平和の主人、血統の主人」の108ページ]


“‥‥教材を作りました。母の教材であり、皆さんの教材です。母が果たせずに誤ったならば、「お母さん、悔い改めてください。生きる道がありません」と言えるような皆さんにならなければなりません。母を再び祝福できる教材が出たので、訓読会の祖となるのは皆さんしかいません。二世が家庭訓読会のリーダーになります。そうでなければ、誰もそれをなすことができません。”


この部分が次のように変えられています。


🔴[平和経の「17.平和の主人、血統の主人」(1627ページ)]


“‥‥教材を作りました。これは、皆様の教材です。皆様の父母が誤ったならば、「お父さん、お母さん、悔い改めてください。私を通して再び祝福を受けなければ、生きる道がありません」と言える皆様にならなければなりません。父母を再び祝福できる教材が出たので、訓読会の祖となるのは皆様しかいません。二世が家庭訓読会の指導者になるのです。”



「母」と「皆様の父母」では全く意味が違ってきますのでこれは本当に重要なことでないかと感じます。この世の中でも遺言に手を加えたりすることは違法なのにメシアの遺言を削除、改竄するとは‥‥正に蛮行と言わざるを得ません。


今日は難解ではあるけれどご聖和を前にされたお父様の切実なる心情をひしひしと感じる「平和の主人、血統の主人について書かせていただきました。


では、また。




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