泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

亨進様のfacebook

話は前後しますが、ある日のこと昔宣教地で出会った人から手紙が来ました。当時大学生だった男性で伝道して祝福も受けたけれど親の猛反対があり、本人もまだ幼くて結局祝福は実らず、その後教会から足が遠のいた人でした。私はその件で現地で当時一緒に歩んだ元教会長に連絡する必要がありましたのでやっとのことで(何しろ機械音痴なので😢)彼にメールを送ったのですが、届いた返事は一言「私のfacebookを見てください」でした。


当時の私はfacebookが何かもよく知らず、出会い系サイトのようなものだと思ってたくらいなのですが、それで娘に泣きついて何とかできるようにしてもらった、それが私がfacebookを始めるきっかけでありました。


やり始めてみてこれは便利なものだと思いました。地球の裏側の人とも瞬時に交流でき、写真や動画も送れるなんてすごい、と思いました。また友達検索、申請をすることで各地の氏族、知人友人、懐かしい食口や同級生とも繋がることができるので素晴らしいと感動し、一時は友達を増やすことにはまっておりました☺️ そして冒頭に書いた男性とその弟さんとも交流ができるようになりました。


そして私はある時気がついたのです。友達申請で繋がった食口の何人かが亨進様のfacebookと繋がっていることを。プロフィール写真を見ると、ヨナ様と小さなテントみたいな物の下に座って笑っておられます。不思議な写真だなあとおもいました。でもそのお顔が懐かしく感じられ、私は友達申請を送って見ました。すると承認されて私も亨進様のfacebookを見ることができるようになったのです。


当時亨進様のfacebookに掲載される写真を見て私が感じたことは、「どうしてこんなアメリカの山の中におられるのだろうか? どうしてお母様のお側におられないのだろうか? 何かの修行だろうか‥‥」というような疑問でした。何しろ質素な服装で火をおこしたり、コップを作ったりされてるような写真だったので、ただただ不思議でした。そして私も普段忙しい生活をしていたので、いつも気をつけて見ていると言うよりは、更新画面が目に入った時にちらっと見るくらいになっていきました。


このことがきっかけで私は2015年1月の 「沈黙を破って」に出会うことができるようになるのですがまだこの頃はそのようなことは夢にも知らず、教会のことで悩みながら試行錯誤の日々を過ごしておりました。



それでは、また。





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