泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

無我夢中

娘が21日修練会から帰って来た日、青年部のスタッフの姉妹から娘に連絡がありました。わずか2 、3日後の5日修にスタッフとして参加してほしい、という内容の電話でした。急な話であり、既にバイトの予定があったので難しいと答えると、「お母様の涙を拭ってさしあげたいとは思わないんですか!」と言われたそうです。


娘は「バイトはどうしても休めないから行くのは無理だけど、ああ言われたら断る自分が不信仰者みたいで苦しくなる。どうしてああいう言い方するのかな」と言っておりました。私はそういう言葉が出て来るのは、1世、つまり私たちの教会ではよくあることで、その2世の20代の姉妹は純粋で一生懸命であるだけに、そういう教会の文化と言うか風潮にしっかり染まっていることを感じた一件でした。つまり、自分達がやってることが最高のみ旨でそれに従わないのは、悪、とする風潮で柔軟性や寛容性に欠け、要求や裁きに陥りやすい文化です。私もかってのアベルが婦人達に言ってた 「中心を支えたいと思わないんですか!」「神様のおっしゃることが聞けないんですか!」「私はKYK長の代身として来てます!」などの言葉を思い出しました。


そしてこのまま娘がそのような教会の文化に馴染んでいくことが果たしていいことだろうか、と思い出したのです。かっての自分は疑問を持つことはありませんでした。むしろ2世教育の流れになかなか乗っていけない娘を心配に思ってきたのです。しかし、最近はいろんな状況を見てきて考え方が段々変わって来ていました。

何よりも大事なのは家庭、そして親子関係であり、それを土台にしての2世教育であり、教会に通ってるから、修練会に出てるから、STFに行ったから、鮮文大に行ったから、清平に行ってるから、それで安心なんてことはない、と思うようになってきたのです。勿論そのような教育に素晴らしい内容があったことも否定できませんが‥‥


実は私は教会がおかしくなっていることに気づいてから、ずっと2世のことが心配だったのです。

お父様が晩年言われたことをよく思い出していました。「私がいなくなったら誰がこの子達を守ってやるだろうか‥‥」ラスベガスだったでしょうか、確か2世の前でこのように涙ながらに言われたことがあったと思います。


講義案の件にこの件もあって、翌日私は押し出されるような思いで教会の現状について娘に話をしました。まだ幼い娘ではありますが、21修で学んだ土台ができたことが幸いして、よく理解して聞いてくれました。


最初は娘の理解度に応じて、今後も時間をかけ少しずつ話していこうと思っていたのですが、予想外に相対して聞いてくれるので、どんどん話が進み、私は核心的なことも全て話してしまいました。気がつくと2時間経っていました。深夜の祈祷室での出来事です。


聞き終えた娘は 「お母様にサタンが入ったってこと?」と言い、私はこの率直な質問に一瞬言葉を失いましたがこのように答えました。「お母様を誰も批判はできないんだよ。お支えできなかったお母さんたち祝福家庭が本当に悔い改めないといけない内容があるから‥‥こんな話聞いてショックだよね?」

娘は 「大丈夫だよ。私はアボジには昔から情がいったけど、お母様のことはまだよくわからなかったから。むしろ周りの子達がお母様のことすごく慕ってるのを見て自分はそういう心情が足りないのかなって負債感じるくらいだった。お母さん達の方がずっとショックだよね。」「で、私はこれからどうしたらいい?」

私はこう言いました。「お母さんを信じてついて来なさい」

「うん、わかった! もう寝るね」


娘が休んだ後、私は神様に感謝の祈祷を捧げました。その頃までに主人は理解してくれるようになっていたので娘のことが1番の気がかりでした。何をどのように話したらよいのか、そんな話をしたら躓くのではないかと悩んできたのです。少しずつ伝えていくしかないと思っていましたが、私にスイッチが入ったように一気に言葉が与えられ、娘は思ったより理解してくれ、躓くこともなく本当に導かれたと思いました。自分の力ではなく霊界の協助を感じたのです。


それは、2015年夏の出来事でした。そしてそれからも次々にいろんなことが続いて起きるようになっていきました。



今日はこの辺で。




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危ない子女教育

2015年の夏、私は19歳の娘を千葉の21日修練会に送り出しました。教会の現状を思って不安がなかった訳ではありません。しかしそれまで地方にいて、中央の教会の教育ラインには乗れず、たまに参加する短期の修練会や家庭での訓読会だけで、系統立って原理を総合的に学んだことのない娘にとって、やはり21修は必要だと思ったのです。


修練を終えて帰って来た娘にどうだった?と聞くと「よかったよ!今まで断片的に学んだことがやっと繋がったって感じ。お母さんから普段聞いてたことも、ああ、こういう意味だったんだって理解できたことも沢山あったし。大変だったけど楽しかったよ。」となかなかよい感想でひとまずホッとしました。そして教材を見せてもらうとかなりの量で、これだけの内容を集中して学ぶ機会は中々ないのでやはり行かせてよかった、と改めて思いました。


しかし、私は少し不安に思うことがあったので、「現代摂理の教材は?」と娘に聞いて貸してもらい、「真の父母様を中心とする現代摂理」という題名の教材をパラパラと見たのですが、最後の部分を見た時にその不安は的中しました。お父様の晩年の摂理の記述に納得いかないものがあったのです。その講義は有名なK講師によってなされたようですが、独生女理論が直接書かれてはいないものの、それを後に正当化していくための伏線が既に張られているような内容でした。


そして最も驚き、問題だと感じたのは教典に関する記述でしたが、それは次のような内容でした。



🔴[真の父母様を中心とする現代摂理]

第7章 天一国時代

第3節 八大教本と『天一国の教典』


本来、真のお父様が生存しておられる時代に、八大教本をもって、基元節までに、現実のものとし て神の国家を創建するはずでした。

八大教本は、『家庭盟誓』と、『マルスム選集』を土台にした各テーマごとの4冊と、体系的教理を扱った『原理講論』『世界経典』の三種類に分類されます。その中で御言に関しては、本来ならば世界のすべての人々が韓国語の『マルスム選集』を学ばなければなりませんが、それは現実的には難しいので、そこからテーマごとに抜粋された『天聖経』をはじめとする4冊の御言集が創られました。

しかし、その願いは実現できず、2020年までに天の国を復帰する新たな摂理を出発するため、真のお母様は、2000年までの御言から抜粋した先の『天聖経』を土台に、2001年以降の御言、特に八大教本には掲載されていなかった、「先生が生涯全体の結実として宣布した御言」であり、「先生の全体生涯路程を中心とした、教材教本を代表した、総体の御言」である『天地人真の父母定着実体御言宣布大会』の御言(2011. 2. 3)などを加えた『天一国の経典』の『天聖経』を出版されたのです。

さらに『平和神経』に過去の主要な講演文を加えた『平和経』を出版されました。

そして『原理講論』は『再臨論』までしか書かれておらず、真の父母様の生涯路程が扱われていないため、『真の父母経』を出版する必要がありました。それで2015年には、『真の父母経』が出版される予定です‥‥



これを読むと冒頭の “本来、‥‥” から始まり、7行目の “しかし、‥” に至る文の流れが不自然な気がします。文脈がおかしいと感じるのは、私だけでしょうか。論理の飛躍を感じます。

そしてお父様の八大教材教本とは、本来基元節を勝利するための期間限定のものだったのでしょうか。そうではないことは以下のお父様の御言からも明らかだと思います。


🔵「これからは、この八大教材・教本が重要です。教材を全て作っておいたので、先生がいなくても、この教材を中心として、千年、万年、歴史上に生きる人たちがこれを学ばなければなりません。これを全て学んで理解した人が天国に行くのであって、これを知らない人は行けないようになっています。歴史上のあらゆる内容について尋ねるまでもなく、答えられないものがないほど、天からのあらゆる内容を結論づけておいたものが、正にこの八大教材・教本です。(2009・8・16)


🔵「八大教材・教本が重要です。私が残していく贈り物として、最後の運命的な離別における遺言です。」(2010・3・2)


(以上 『天運と聖霊の宿る八大教材・教本』文鮮明 より抜粋)



上記の教材には図も記載されていますが、新しい経典を八大教材・教本の上位に位置づけています。古い食口はともかく、今後学んでいく新しい人や2世・3世たちは、八大教材・教本がいかに重要でお父様の精誠や心情が込められているものかわからなくなり、赤い3冊さえ読めばいい、というふうになっていくのではないでしょうか。

私はこの件で教会の子女教育に対し非常に危機感を感じました。そしてこのことは、私がその後退会ということを考えるにあたり、大きな要因の一つになったかと思います。



それでは、また。




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主の御手に導かれて

2015年1月に亨進様の「沈黙を破って」に出会ってから、約1年後の今年1月に私は家族と共に家庭連合を退会しました。今振り返ればその間いろんなことがありましたが、その一つ一つに神様が働いて真実の道に至るよう導いてくださったことを感じます。


外的には、自分でできる範囲の活動をしていました。関連機関でのボランティア、地域の方との茶話会、教会や区域、有志などのイベントや集会への参加など。そして以前よりは家庭の経済の為の副業に意識と時間を持てるようになりました。


そのような日々を過ごしながらも、ネットを通じて亨進様の説教や、サンクチュアリに関する情報には目を通すようにしていました。そのころの私は、まだ確固とした確信は持てないまでも、亨進様が発信されることに共感し、また江利川会長のことも “勇気がある方だなあ ” とエールを送りたいような気持ちでいました。


そして段々といろんなことが起きてきましたが、その中で大きなことと言えば、同じ考えを持った方に出会ったことです。それまで主人には自分が知り得たことを少しずつ話していました。なるべく感情的にならずに、事実と確認できたことを正確に伝えるようにしていくと、主人も 「うん、それはおかしいな」などと言って真剣に聞いてくれるようになりました。


しかし、その他にはこの件に関して授受できる人はほとんどいませんでした。4月にアメリカから帰省した姉妹と約20年ぶりに会った時には少し話ができましたが、それは彼女が日本、韓国、アメリカで歩んできた視野の広い人だったので話やすかったからではないかと思います。


教会がおかしくなってきている、ということに関しては先輩家庭の方とお話することがありましたが、その方は3男の顕進様を支持しておられるようで「サンクチュアリはすぐつぶれますよ」と言われ

それ以上話せなくなってしまいました。


そういうわけで一人孤独に、と言っては大袈裟かもしれませんが、多少さみしい思いで密かに心の中で亨進様を支持していた私でしたが、ある日たまたま参加した集会で同じ考えを持ってる方、しかも私なんかよりももっと詳しく徹底的に調べておられる方に出会ったのです。


それは不思議な出会いでした。6月のある日のことです。そもそも市内のその場所に行くことは滅多になかったのですが、区域から行ける人が誰もいないと言うことで私が行こうと思い立ち1時間以上運転して行ったのです。

そしてその集会の後半、世界会長の善進様がスピーチをされてる映像が流れている時に、こういう質問をする方がいたのです。その方は比較的新しい方で本当に素直に疑問を持たれているようでした。

「男の子女様が沢山おられるのに、どうしてこの方が世界会長なんですか?」


すると私の隣に座っていた先輩家庭の婦人の方がこう答えられたのです。「それはね‥‥現体制を維持するためにそうなってるんですけどね‥‥でも私は本当に後継者に相応しいのは7男の方だと思ってるんですよ」と堂々と明るくおっしゃったのです。

その答えを聞いた私の気持ちは言うならば次のようなものでした。「同志見っけ!」

昔から責任者をしてこられた大先輩に対して失礼ではありますが、正直そのように思ったのです。

集会が終わったあと「私も同感なんです」とお話しすると「あら、嬉しいわ!」と言われ少し授受してお別れしましたが、このことは私にとってとても大きな出来事でありました。

神様が準備してくださった出会いだなあとしみじみ思う次第です。


それからも加速度的にいろんなことがありました。私はただ手探りで無我夢中で過ごしていましたが

今思えば霊界も必死だったんだなあと思います。

今日はこの辺で。




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