泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

ブログ村の様相

神山会長の講演文を検索して読んだことをきっかけに私は統一教会ブログ村を訪問するようになりました。そこには実に数多くの様々な種類のブログがありましたが最初はよく「目安箱」というブログを読んでいました。責任者の様々な問題に対して現場で直接声を上げることのできない食口達の文字どおり「目安箱」でありました。(今では更新されてないようです)我が教区で起きたことが決して一教区に限ったことではなく全国各地で似たようなことが起きていたことを知りました。そしてどこでもなかなか食口の声は本部に届かないか届いても適切な対応がなされていないことがわかりました。


現場でなかなか声を上げることができず上げても適切に対処してもらえないということは私も自分の所属する教会において体験していましたが振り返って見ればそれは組織の構造に原因があったのだと今になって思います。亨進様がよく“中央集権”という言葉を使われますが今そのことを強く実感する次第です。時代はとうの昔に家庭連合時代、訓読家庭教会の時代になっていたにもかかわらずずっと献金を上げやすいピラミッド型の組織が続いて来たんだなあと。またそのような組織であるからこそ現場で自由闊達に意見を述べ合い皆で作り上げていくという雰囲気にならず上意下達の閉塞感漂う教会になってしまい、ネットで意見を自由に述べ合うブログ村が盛況になっていたんだなと感じます。


しばらくブログ村で自分の関心のある記事を読んでいくうちに、実にいろんな種類のいろんな立ち位置の方のブログがあることに気がつきました。統一教会の公職者や食口、二世、三男顕進様を支持する方達、第四イスラエル研究会、元信者の方、批判告発する方‥‥etc. (そのころはまだサンクチュアリはありませんでした)そしてその方達が立場は違うけれども実に真剣に自分の知り得た情報や意見を発信し多くの方が真剣に教会を改善したい、改革したいと切なる思いをもたれていることに驚き、感心し、また今まで自分は井の中の蛙だったなあと思いました。実際私は教会に来てから30年近くになりますが情報、という点においてはここ2年余りでネットから得た情報の方がその期間に得た情報より多いかもしれません。特に私達一般の末端食口が知り得ない真のご家庭に関することは本当に初めて知ることが多くて驚きました。そしてここにひとつ課題があることに気がつきました。それは豊富な情報のなかでいかに正しい情報を選択するか、ということです。


ある時主人に自分がネットで知り得たことを話した時こう言われたのです。「情報に振り回されたらいかん。それが正しいかどうかどうやって判断するんだ?」と。まさにそのとおりです。そこで私も記事を読む時にあることを念頭に置いて注意して読むようにしました。




次回はそのことに関して書いてみたいと思います。

それでは、また。





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“ 禁断の” ネット情報

スマホを持つようになって少しづつ操作にも慣れていった私ですが統一教会の公式ホームページや

清平のホームページを開いて見ることはあってもそれ以外の統一教会関連の内容を検索して見ることは一切ありませんでした。具体的なことは何も知らなかったのですが漠然とネットでは誹謗中傷しか書かれていないんだろうと思っていました。イメージとしては週刊誌に書かれたりテレビのワイドショーで取り沙汰されるような内容です。そういう類のものを見ても気分が悪いし時間の無駄だと考えていました。


教会でも “ネットは悪 ” という共通の認識のようなものがありました。受講生がネットを見て躓いて来なくなることがありましたし私の伝道していた女性もネットで教会のことを調べた家族に猛反対され結局来れなくなってしまいました。そういうわけで実際見たことがないにも関わらずネット悪玉論に強く影響されていました。しかしこれは主に婦人食口に言えることでインターネットを使い慣れてる壮年や青年は別ではないかと思います。


そういう私がブログ村を訪問するようになるにはあるきっかけがありました。それは同じ教会のある男性食口が教会に来られなくなったことに端を発しています。そして教会長や婦人部長の話によるとその理由は神山会長の講演会に行って影響を受けたからだと言うのです。その方は公職経験のある立派な信仰者で長年知っているので人柄もわかっています。そういう身近な食口が教会に来なくなるというのはとてもショックなことでした。 “ 一体どうして? 神山会長講演会って? あの神山会長が何を話されたの?” と疑問だらけでした。


そしてさらに疑問を持つようになったのはその後集会などで神山会長のことが他のいわゆる分派、霊的集団と同じように問題人物として言われだしたことでした。だいぶ前に聞いたことのある “郭グループ” という言葉も出てきました。


私はこのことに身近な人が関わっていなければあるいはそのまま通り過ぎたかもしれませんが長年のお付き合いで家族もよく知ってる家庭であり決してそのままにできませんでした。離れた理由を知りたい、影響を受けた神山会長の講演会って一体どんな内容なんだろうか、そういう思いからそれまでしたことのない“ 禁断の” ネット情報にアクセスするようになったのです。


私はある晩おそるおそる “ 神山威” と入れて検索してみました。すると神山会長の講演文に行き着くことができました。その講演文はとても長くて前半は斜め読みしましたが後半の内容は私がそれまで疑問に思ってた内容とも関わっていていろいろと示唆を与えられました。そしてこの日をきっかけに私のネットに対する先入観や偏見は取り払われて自分が疑問に思ってることを解決するために自由に調べるようになったのです。


今日はここまでにします。それでは、また。






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御子女様は何処へ

お父様の聖和後だいぶ時が経った(いつ頃かはっきり記憶にないのですが)ある日、一人の姉妹から電話がありました。住んでいる地域も所属教会も違い滅多に会う機会がない先輩家庭の姉妹ですが昔宣教地で共に活動し心情はすぐに通じる、そんな関係の方です。

彼女がいつになく真剣な雰囲気で私に聞かれるのです。「ねえ、私忙しくてなかなか教会に行けないからあなたに聞くけど御子女様は一体何処に行かれたんですか?」


彼女はなかなか教会に通えない分月刊誌 “Today's World” を隅々まで丁寧に読まれててそれまでは頻繁に掲載されてた亨進様や国進様の記事が全くなくなってしまったんだ、と言われました。

そう聞いて私もはたと思いました。“ そう言われれば教会で公式行事の映像なんかを見ても最近お二人のお姿がみられないなあ、一体どうされたのだろうか‥‥“


数日後私は所属教会の教会長にそのことをお尋ねしました。すると驚くようなことを言われたのです。「そうですね〜。なんでも聞くところによるとお父様が聖和される時、訓母様とお母様が生命維持装置を外そうとされて子女様はそのことに躓かれたようですよ」

意外な内容に私は驚きましたがそれ以上詳しいことは教会長も知らないようでその話はそこで終わりましたが当時の私は “お父様の苦痛が余りにもひどいのを見かねて楽にしてさしあげたくてそのようにしようとされたのだろうか‥‥それにしても大変そうなお母様を子女様はお側で支えてくだされたらよいのに‥‥” などと考えていました。そしてこの件はまた一つの疑問として心に残るのでした。


そしてその後私はまたまたある理由で必要に迫られてFacebookなるものをしなければならなくなり娘に「Facebookって何? 教えて! お願い! 」などと泣きつき大騒ぎして何とかできるようになるのですがそのことがやがて亨進様のFacebookに繋がるきっかけになるとは夢にも思っていませんでした。


神様の導きは実に奥妙だとしみじみ思う次第です。

今日はこの辺で🌽