泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

祈祷 167 〝 イエス様の悲しい心情をつかみ立つ子女とならせてください 〟

🔵 祈祷 167


イエス様の悲しい心情をつかみ立つ子女とならせてください




今日私たちは、過去歴史上に来て逝かれたイエス様は知り、信じておりますが、その当時イスラエル


民族に追われ追い回された悲惨なるイエス様、この村で追われればあの村へ、この郡で追われればあ


の郡へと彷徨したイエス様とその心情を知って、信じる者はございません。天の心情を代身して現れ


たイエス様の姿を知る者は、歴史上で見いだすことができません。




メシヤを待ち望んだイスラエル民族が、メシヤを迎える望みを抱き、数千年間耐えながら闘ってきて


メシヤがいつ来られるのだろうかと言いながら待ち望んで参りましたが、いざその望みの的が現れた


時には、自分たちの事情と自分たちが処した環境に偏ったあまり、天の心情を知らないまま深い眠り


に陥っていましたことを、私たちは思い起こさずにはおられません。このような嘆かわしい歴史があ


ったことを思い起こし、きょう私たちに、お父様の心の中に染みわたっている恨みを解いて差し上げ


るべき責任があるとしますなら、来られたイエス様を見間違えたイスラエルの罪状を、私たちが代身


して担当し、解いて差し上げられるようにしてください。イエス様を悲しませたイスラエルの失敗に


責任を持ち、代身して悔い改めることのできる私たちとなるよう許諾してください。




イエス様は悲しい30余年の生涯をお送りになりました。その上に自分のすべてのものを捧げた3年公


生涯がございましたが、だれが彼の心情を知っており、だれが彼の事情を知っておりましたでしょう


か?一人もおりませんでした。甚だしくは、喜怒哀楽をともにし、悲しい時ともに悲しみ、寂しい時


ともに寂しがり、師と侍っていた弟子たちも知りませんでした。師が死の道を行くことを案じ、懇切


なる心情で天をつかみ訴えるべき弟子たちが、かえってイエス様がだれであるかと言って問い返す立


場にございましたので、3年の功事が無駄であったことをお感じになったイエス様の心情、悲しみがあ


るとしますならこれ以上の悲しみがどこにあり、悔しいことがあるとしますならこれ以上悔しいこと


がどこにございますでしょうか?


権能をお使いになったイエス様をあがめ侍ることのできるクリスチャンはおりますが、踏まれ押さ


れたイエス様のその足跡をつかんで生きようとするクリスチャンはおりません。お父様、かわいそう


なイエス様の心情をつかんで立ち上がることのできる息子・娘たちが、この万民の中にたくさん現れ


ることを私たちは血涙で訴えないわけには参りません。


生きておられ、歴史の背後を操られるお父様! 私たちにほのかに、行く所を教えてくださることを


知るものでございます。お父様、過去のイエス様を慕う私たちとならないようにしてくださり、時代


的なイエス様を証すためにあえぐことのできる私たちとなるよう、許諾してくださいますことを懇切


にお願い申し上げます。


今、私たち、お父様の前に行かなければならなかったイエス様の心情に同情し、その心情の前に頭を


下げられるようにしてくださり、イエス様が喜ばれ、願われたその何かがあるとしますなら、それを


成し遂げて差し上げることのできる私たちとなるよう許諾してください。2000年前、人類の生命問題


を解決しなければならなかったイエス様の心情に徹することができ、彼の心情と関係を結べる息子・


娘となるよう、お導きくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお捧げ申


し上げました。アーメン。 ( 1959・7・19 )

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