泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

祈祷 174 〝 イエス様が成せなかったみ旨を解怨成就させてください 〟

🔵 祈祷 174



イエス様が成せなかったみ旨を解怨成就させてください




お父様 ! 統一教団が今まで歩んできた道を思い返してみますときに、その教団は、そのだれもが愛してくれなかった教団でございまし


た。国が反対し、既成教会が反対し、父母が反対し、個々人が反対したその立場は、ちょうどイエス様が十字架の道まで追われたのと同


じ立場でございました。




イエス様は、追われて十字架で亡くなられた後、2000年の路程におきまして、個人を捜し、氏族を捜し、民族を捜し、国家を捜し、世界


を捜しましたが、霊的基準においてだけ捜してこられました。この霊的基準を受け継ぎ、実体基準にまで連結させるのが、あなたの望ま


れた願いの一念であり、あなたが6000年間苦労されたその苦労の結果となることを考えるものでございます。


今日、統一教会が歩んで参りましたのは、イエス様の恨めしい内情の因縁を相続して、実体的にこの民族の前で追われながらも、死なず


に、個人と家庭と氏族と教会をもう一度捜すためでございました。こう考えますときに、この国この民族におきまして、教団同士、互い


互いに同じ基準をつくり、かえってユダヤ教よりも優位に立つことのできる時代圏を迎えたということを知るものでございます。イエス


様を反対したユダヤ教の群れより、イエス様の福音を通して一つとなった群れがより強い立場に立ったのと同じく、現在私たちをそのよ


うな立場に立ててくださったことを考えますときに、心から感謝を申し上げます。


教会を越えて民族基準まで上がらなければならない終生の使命が、私たちに残っていることを知り、どのような困難にぶつかり、どのよ


うな犠牲を支払うとしましても、この道を越えてこそ、初めて私たちの生きる道があり、定着することができるということを、はっきり


知らなければなりません。寝ても覚めてもこのためにだけ、私たちがあらゆる精誠を投入しようと、もう一度決意できるよう、許諾して


くださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、私たちの遠くない将来に、必勝のひと日が訪ねてくるということを考えますときに、私たちはイエス様が与えられなかった愛を与え


なければならず、イエス様が受けられなかった愛を受けなければなりません。


このようなことが統一教団で起こることによって、私たちを通してお父様の恨みとイエス様の恨みが解怨成就されるという、このとてつ


もない歴史的事実をありがたく思い、一生に一度しかないこの貴い機会を失ってしまわないよう許諾してください。このすべてのみ言を


真の父母のみ名によってお捧げ申し上げました。アーメン。 ( 1970. 12. 25 )







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