泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

祈祷 171 イエス様の歴史的悲しみのひと日を回想させてください

🔵 祈祷 171


イエス様の歴史的悲しみのひと日を回想させてください



お父様! 天を抱き、地に対する救援摂理のみ旨を抱き、30余年の生涯をお生きになったイエス様が


、自分を救い主として対してくれる一人を見いだせず、救い主として侍ってくれる一家庭を見いだせ


ず、救い主として従う一民族を率いることができないまま、恨めしい運命の日を迎えなければならな


かった歴史的な悲しみの日が思い返さるものでございます。


願わない時に十字架の道を行かなければならず、時ならぬ時に使命を終結しなければならなかったイ


エス様でございましたので、語るべきこともすべて語れず、心情に立てた悲壮なる覚悟と決心の行使


もできないままに恨みを残し、また抱いて逝かれましたが、その心情を知る者がどこにおりますでし


ょうか?


お父様! 天を仰ぎ見るイエス様の目には、万民に対する切ない涙がたまり、死を前にした彼の悄々


たる形状は、人類を代身した姿であったことを、今日、私たちも骨に染みて分かることはできません


が、その当時の人々の中でも、それほど凄絶なる苦難にぶつかる人が、神様の息子であることを知っ


ていた者はございませんでした。


イエス様を知って侍るべき民族が、むしろ彼に反対して死の道に追い立てるために跳梁したので、み


旨を抱いてきたイエス様は、どれほどかわいそうだったでしょうか?


天の心情に通じ、イエス様の心情に通じるべき民族であるにもかかわらず、むしろイエス様が民族を


案じなければならず、怨讐に引かれいくイエス様の悲しみも知らず、怨讐の手のひらの中で戯れている


、死亡圏にいる民族を眺め、「アバ、父よ、彼らの罪をお許しください」と言って、祈らなければな


らなかったイエス様の心情を、私たちがたどって感じられるようにしてくださいますことを、お父様


、懇切にお願い申し上げます。


十字架と言えば、私たちは名前だけで知っておりました。イエス様が行ったゴルゴダ山頂が、イエス


様にとっては地獄であり、死の現場であったことが私たちには分かりませんでした。ですので、今か


ら私たちが十字架を考えますときには、イエス様の体が裂かれる痛みより、4000年間積もってきた神


様の恨みの心情が裂かれる悲しみが、どれほど大きかったかを知るようにしてください。イエス様が


十字架で肉を裂かれ血を流したことが悲しみではなく、心情を絞り出さなければならなかったことが


もっと悲しいことであったのを、知ることのできる私たちとなるようにしてください。


きょうここに集まった群の中に、真なるあなたの息子・娘がおりますでしょうか? イエス様が流し


た血を無視し、天の福を受けることを願う者がおりますでしょうか? イエス様の心情に倣って、天の


み旨に対そうとする者がおりますでしょうか?


泣いて、泣いて、また泣いても恨みの解けない悲しみのひと日を憶え、イエス様の死に対して、果て


しなく痛哭することのできる群れとならせてください。主のみ名によってお祈り申し上げました。ア


ーメン。 ( 1959.6.21 )







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