泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

祈祷 164 メシヤを迎えられる姿とならせてください

🔵 祈祷 164



メシヤを迎えられる姿とならせてください




お父様! 30余年間、荒野でいなごとはちみつを食べて修道した、洗礼ヨハネが抱いた願いは何であ


りましたでしょうか? 彼の願いのすべては、来られるメシヤを迎えることであったことを知っており


ます。


メシヤを証した彼は、メシヤと一つにならなければならない天倫の因縁でございましたが、彼が私


の心にあり、私が彼の中にあって、彼のものは私のものであり、彼の心情が私の心情であり、彼の生


生が私の生涯だという、すなわちイエス様のすべてのものが洗礼ヨハネの心中に反映され、一体を成


さなければなりませんでしたが、彼はそのようにはできませんでした。


ヨルダン川の多くの群の前で手を挙げ、天の息子だと証した記憶を持っていた洗礼ヨハネは、悲しく


寂しい姿で獄に閉じ込められ、自分の物悲しい身の上を嘆息せずにおられない立場で、自分が証した


メシヤ、天が証し立ててくださったメシヤに弟子たちを送り、「『きたるべきかた』はあなたなので


すか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか(マタイ11:3)」と聞き返した場面は、歴史的


な悲しい場面であり、天が越えがたい悲しい場面であったことを私たちは知りました。


歴史の流れの中に、洗礼ヨハネの路程はそのまま残っております。新しい理念を見つけるためにあえ


いでいる私たち、新しい歴史を待ち望みながら準備するという私たちが、今、洗礼ヨハネを自分と交


換して考えることのできる者たちとなるよう許諾してください。


天の民が天のみ旨を排斥した事実を、歴史を通して知りましたので、今日私たちがそのような歴史


的な二の舞を再び踏む者たちとならないよう主管してくださいまして、荒野で装わせ準備をおさせに


なった、そのみ旨を失う者たちとならないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます





きょう私たちの体と心が、お父様の前に面目ないことを悟るよう許諾してください。お父様の勧告


なさるみ言を聞くことができ、イエス・キリストの悲しい心情を引き継ぐことができるようにしてく


ださり、天的な悲しい心情を抱き、人間たちが知ることのできない新しい理念の主人公を迎えること


のできる心と体となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


この時代を守りいく主人公はだれであり、この時代に残ることのできる民族はどのような民族であ


るかを案じ、そのような姿を慕いながら悲しい心情に徹することのできるこのひとときとなるように


してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。聞こえてくるみ言と聞こえてくる声


に耳を傾け、そこに同調し反応する生活をする私たち、今、私たちが歩んできた道を振り返り、新し


く目覚めるべき時が参りました。




混乱と混とんの中に置かれ、生死を決めるべき立場にある自分自身を案じる立場から、私たちが抜け


出られるようにしてください。信じることのできない社会であり、信じることのできない世界である


ことを知っておりますし、信じることのできる理念の世界に浸り、その理念の世界と因縁を結ぶこと


ができるよう自ら目覚め、自我を認識し天をつかむべき時となりましたし、心の変革を起こさなけれ


ばならない時になったということを知っております。




このような環境に処している自分であることを肝に銘じ、新しい「私」を追求できるよう導いてく


ださり、恨みの染みわたった悲しみの峠を越えに越えて、歓喜の姿を迎えることのできる私たちとな


らせてくださり、その姿を慕い、その世界に引かれ、その世界と和することができるようにしてくだ


さい。今日この社会環境が自由でありえず、悲しみが染みわたっていることを悲痛に感じて、これを


遮って闘うことのできる力と勇猛さをお与えください。永遠であられ絶対的なる天がおられるとしま


すなら、罪悪の一切を押し出すことのできる能力を加えてくださいますことを懇切にお願い申し上げ


ながら、すべてのみ言を主のみ名によってお捧げ申し上げました。アーメン。 ( 1959.4.12 )








60年という時を感じさせない、今の私たちにとってとても身につまされる、決意させられる祈祷ではないかと感じます。








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