泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

「御言訓読と霊界動員」ー訓読会をすれば、天地が共鳴します。

🔵 真のお父様のみ言



訓読会をすれば、天地が共鳴します。常に天と共にいる立場に立てるのです。これは福の中の福です。皆さんが先生の説教集を読んでいけば、生涯離れることができません。それはなぜかというと、生命の根源がそこにあるので、離れることができないのです。家庭ならば家庭の宝物であり、妻ならば妻の宝物であり、子女ならば子女の宝物であり、父ならば父の宝物であり、それが大きくなって国全体の宝物、人類全体の宝物となることによって、み言を中心として統一を成すことができるのです。これが核心です。

ですから、皆さんは、訓読会を重要視しなければなりません。毎朝1時間ずつみ言を読めば、その日のすべての事柄や考え方がとても明確になるのです。精神的な姿勢が明るくなります。先生が40年も50年も前に話した言葉ですが、時間的な隔たりがありません。そこには、その時の真剣さがそのまま存在し、み言に対する感情が常に生きているのです。

そのようなみ言を語る時、聴衆と先生、そして霊界が和動して天に飛翔できるという結果が、今後世界を満たしていくことでしょう。それは、どれほど興奮し、どれほど痛快さを感じるか分かりません。先生自身も、そのようなことを感じるのです。そのような気分を、時間性を超えて、空間性を超えていつでも共に感じられるということは、驚くべきことです。

ですから、真理のみ言は偉大なのです。神様が何千年にわたって成してこられたことが、み言と連結されるのです。それゆえに、み言を読んで読んで、100回読んでも1000回読んでも、みなついていくのです。毎年読んでも同じではなく、発展的な内容を感じることができるのが真理です。同じではありません。発展するのです。ですから、真理で愛するようになれば、永遠の発展を約束して定めることになります。

( 1999・5・8 )



訓読会を通して、霊界まで知ることができるようにしました。先生をはっきりと知り、神様をはっきりと知り、地上天国をはっきりと知り、天上世界をはっきりと知ることによって、創造することができるのです。知らなければ創造できません。

( 1998・5・24 )



泣きながら訓読会をするのです。先生の心情をいつも感じなければなりません。1ページ、1ページ、その雰囲気の中で先生と一つになれるのです。主体と対象が、骨と肉が一つになることができる場です。霊界と肉界が一つになり得る場です。普通の言葉とは違います。小説とは違うのです。ですから、訓読会を一生懸命にすれば、天がよくわかるようになるのです。

( 2000・2・14 )



訓読会は、何がすごいのでしょうか。先生がそのみ言を宣布したのが50年前、生死の絶頂で話したものです。このみ言を中心として天下が爆発する、そのような心情で語った内容なので、これには天の心情が生きていて、霊界が協助するのを生き生きと感じるのです。永遠に時間圏を超越します。きのうであると同時に、きょうなのです。生きているので、私たちが訓読会で訓読するその言葉を聞けば、それが自分の言葉ではありません。その境地に引き込まれていくのです。その境地に入るというのです。それが必要です。

( 1998・11・18 )





( 第1章 訓読会に関するみ言 第2節 訓読会の恵み② )






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