泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

祈祷 162 〝 排斥されたイエス様の悲しい事情を洞察させてください 〟

🔵 祈祷 162



排斥されたイエス様の悲しい事情を洞察させてください




お父様! 愛する弟子たちを前に置いて、遠からず地上での生涯を終結し、お父様の国に行くことを


語らなければならなかった、イエス様の物悲しい心を洞察することのできる私たちとなるよう許諾し


てください。


時間的に見ますなら、イエス様と私たちの間には2000年という間隔がございますが、心情の世界で


は時間を超越することができることを知っておりますので、きょうもイエス様の悄悄とした姿ともの


悲しい心情に涙ぐみ、一言一言懇々と戒められた聖なる姿を眺めることのできる、直接的な体恤の役


事を呼び起こしてください。このような場面は、人間たる私たちとして慕わざるをえない場面でござ


います。


この地上のどのだれがイエス様の心を知りましたでしょうか? 物思いに沈んだその姿を見て、心深


く染みわたってくる天の悲しみを体恤した人が一人もおりませんでしたので、天はこのような人間た


ちを置いて嘆息するしかなかったことを知るものでございます。天の心情を知って「主よ!」と呼ぶ


弟子の一人も持てなかったイエス様が、疑心で点綴された生涯路程を行かれなければならず、また疑


われ、その物悲しい生涯の終末を迎えなければならなかった悲しみを、この時間私たちが心で同情で


きるようにしてください。


イエス様が懇切なる天の心情を抱き、天のすべての偉業を抱き、人間を尋ねてこられましたが、人


間たちはそのようなイエス様に自分勝手に対し、排斥し放題に排斥したものでございます。寂しい立


場に追い込み放題に追い込んだものでございました。悲しみに沈み、嘆息の立場を余すことなく経て


こられながらも、イエス様はそのような人間たちをお捨てになることができず、生命の園に向かう一


つの道を開拓なさるために、彼らを引っ張りゲッセマネの園に向かわなければならないということと


、ゴルゴダの十字架の道を行かなければならないということを思われるイエス様の悲惨なる心の前に


、頼もしい弟子の一人なかったやるせない心情を、私たちが分かるようにしてください。





きょう私たちがこのような事実を考えながら、天上に対することができ、孤児のような立場であっ


たイエス様の心情を持って「お父様!」と訴えることができ、その時の心情と通じることができるよ


うにしてください。この者たちをして、心を開き、信じることのできる弟子たちとなるようにしてく


ださり、イエス様を証すことのできる存在となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切に


お願い申し上げます。


イエス様の悲しみがどれほど大きかったかということを知ることのできなかった弟子たち、このよ


うな弟子たちを残しておいて一生涯を集結すべき立場にあったイエス様の心情、生涯のすべてを人間


のために生きたにもかかわらず、その生涯の結実を見ることができず、凄切なる心情に沈んで天を案じ


られたイエス様の信仰に、私たちが同情できるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上


げ、すべてのみ言を主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。 ( 1959.1.11 )







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