泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

審判について語られたみ言

真のお父様は1950年代から審判に関するみ言を語っておられます。昨年9月にもいくつか記事にアップしましたが、今の時に重要と思われるみ言を、重複するものもありますが改めてあげてみたいと思います。



🔵真のお父様のみ言


これからは、み言絶対時代を経て、実体絶対時代を建設する時が来なければなりません。したがって、み言通過時代を経て、実体通過時代の歴史的終末時代が来るのです。そして、この時代が、いわゆる審判時代です。 ( 1958・11・9 )



終末が来れば来るほど、世界が現在の死亡世界として残されるのではなく、未来に見いだし得る何かを中心として、この世界を収拾し、清算されるのです。言い換えれば、この世界が願うよりも劣った善ではなく、この世界が願うよりも高次元的な善の基台を中心として、決してなくなることのない価値の内容を持った善によって、世界は必ず収拾されるのです。その収拾される過程においての必要条件、善悪を分別するための必要条件が、正に審判だというのです。 ( 1971・6・13 )



ところで、いくら心情の世界を論議したとしても、自分自身がそのような心情をもてなければ、その世界とは何の関係もありません。ですから、終末にみ言審判、人格審判、心情審判の三大審判がある理由が、ここにあるというのです。 ( 1969・7・13 )



今、審判の日が近づいてきたので、私たちは患難と悲しみの峠を越え、死の祭物となり、新しい真理のみ言をつかみ、新しい人格となり、新しい生活理念を探し立てられる天的な真の愛を中心として動き始めなければなりません。そうしてこそ、真の生活をすることができ、生涯の目的を達成することができ、新しい永生の理想生活を出発するようになるのです。これは神様がされるのでもなく、イエス様がされるのでもなく、皆さん自身がしなければなりません。 ( 1957・10・27 )



今日の人類は、全て鉄条網圏内に捕らわれています。もし、この東西南北にいる警備兵を全て倒し、鉄条網を全て撤去させられれば、人間は生き返ります。これを撤去させるための行使は何かというと、大審判です。撤去しておいて、神様の一族は神様がもっていくのです。

審判とは、全てを火あぶりにすることではありません。今日のキリスト教が言うような、火あぶりにして殺すのではありません。殺すのなら、既に殺してしまったでしょう。鉄条網を断ち切って、行きたい所に行きなさいということです。 ( 1962・10・28 )



審判とは何かというと、清算です。清算して手本となり得るものをよく収拾し、新しい国家編成時代の偉業として、残しておかなければなりません。( 1988・10・15 )



終末には審判をします。「審判」という文字の意味を調べてみると、「審らか(つまびらか)に調べて判断する」という意味です。正しくないものを打つということです。 ( 1963・3・16 )



〈 以上「天運と聖霊の宿る八大教材・教本」より抜粋 〉




私たちは今7年間の艱難の時、審判の時の只中にいます。真の神の日の亨進様のみ言…お父様が間違いなく臨在して語られたみ言は大変厳しいものでした。お父様はかねてより「摂理国家が失敗すればイスラエル民族より悲惨になる」と語られていましたが、まさに今その状態になってしまいました。戦慄するような深刻な時でありますが、一人でも多くの兄弟姉妹と共に力を合わせ、またこの世の中の志が通じる方々と連携しながら、この艱難の時を越えていきたいと思います。上記の審判のみ言により内的なものを正しながら、審判の向こうに希望があることを確信しながら、力強く歩んで参りましょう。





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