泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

良心作用の麻痺によるみ言と実体の乖離

ここ数年間の間、家庭連合(旧統一教会)の責任者、幹部と言われる人達の信じられない姿を知り驚きを禁じ得ませんでした。それまでの私は、長年に渡り基本的に本部や責任者を信じていましたので、最初にそのことを知った時のことははっきりと覚えています。


数年前のことですが、ある先輩家庭の方、長年責任者をしてこられた方に質問をしたのです。「○○○総会長は何故突然辞められたんですか?」と。するとこう答えられたのです。「えっ!あなた知らなかったの? あの人は食口の献金で家を建てたりしてたんだよ。それが発覚して辞めることになったんだ。えーっ、あなた知らなかったんだ。みんな知ってることだよ。」


率直に教えてくださったわけですが、私は心底びっくりしました。日本の総会長ともあろう方にそのようなことがあるなんて、当時の私は夢にも思ったことがなかったのです。そういう位置にある方は立派な信仰者、人格者であると思っていました。また同時にそのようなショッキングなことを、深刻さもなく事もなげに屈託なく話されることに対しても違和感を感じ一瞬頭が混乱しました。


その後にそのようなことは氷山の一角であるということを知るようになりましたが、責任者、指導者と言われる方達、原理を知り、講義や講話をされ、信仰指導もする方達、公金問題が天法違反であると当然わかっている方達がどうしてそのようなことができるのか、不思議でたまりませんでした。


公金問題だけではありません。お父様が遺言と言われた聖典や伝統が毀損されていることに対し、、また原理が歪められていることに対し、大先輩の幹部、責任者、講師の方々は何も感じないのだろうか、痛みや義憤を感じないのだろうか、と不思議に感じてきました。私のようなものでもおかしいと感じるのですから、原理を深く学んできた方々がわからないはずはないと思うのです。中には本当にそれが善だと信じ切ってる方もいるのでしょうか。それこそとても不思議な気がします。


再臨主、メシアである真のお父様と出会い、原理を最高の真理と信じて、苦労の道を先駆けて歩んで来られた方々がどうしてしまわれたのでしょうか。統一勇士はどこに行ってしまったのでしょうか。

不正にも不義にも沈黙して、長い物に巻かれて、権威に屈して……霊界に行かれた時に後悔はないでしょうか。


既に癌で聖和されましたが、ある先輩家庭のお姉さんの言葉を思い出します。20数年前病気にもかかわらずアラスカ修練会に行かれました。心配する方達に「私はお父様のそばで倒れて死ぬなら本望なのよ」と言われました。そのような生き方を最後まで貫かれました。

また、あるお姉さんは保険に入るべきか否か、と質問する食口に対し、「それはあなたが自分で自由に決めたらいいのよ。教会があれこれ言うことではないです。私自身はこの道を行って最後にのたれ死にしてもいいと思ってるけど…」と語っておられたのを思い出します。その方は今サンクチュアリで献身的に歩んでおられます。



原理講論に良心作用について次のように書かれています。



「古今東西を問わず、いくら悪い人間であっても、正しいことのために生きようとするその良心の力だけは、はっきりとその内部で作用している。このような力は、だれも遮ることができないものであって、自分でも知らない間に強力な作用をなすものであるから、悪を行う時には、直ちに良心の呵責を受けるようになるのである。もしも、堕落人間にこのような良心の作用がないとすれば、神の復帰摂理は不可能である。では、このような良心作用の力はいかにして生じるのであろうか。あらゆる力が授受作用によってのみ生じることができるのだとすれば、良心もやはり独自的にその作用の力を起こすことはできない。すなわち、良心もまた、ある主体に対する対象として立ち、その主体と相対基準を造成して授受作用をするからこそ、その力が発揮されるのである。我々はこの良心の主体を神を呼ぶのである。」


続いて次のように書かれています。


「堕落というのは、人間と神との授受の関係が切れることによって一体となれず、サタンと授受の関係を結び、それと一体となったことを意味する。イエスは神と完全な授受の関係を結んで一体となられた、ただ一人のひとり子として来られたお方である。したがって、堕落した人間が、イエスと完全なる授受の関係を結んで一体となれば、創造本性を復帰して、神と授受作用をすることによって、神と一体となることができるのである。それゆえに、イエスは堕落人間の仲保となられると同時に、道であり、真理であり、また命でもあるのである。したがって、イエスは命をささげ、愛と犠牲によって、すべてのものを与えるために来られたお方であるから、だれでも彼に信仰をささげる者は滅びることのない永遠の命を得るのである(ヨハネ3・16)」


〈 第1章 創造原理 第2節 万有原力と授受作用および四位基台 (2)授受作用 より)





今日のタイトルにした『良心作用の麻痺によるみ言と実体の乖離』とは私たちすべてが地上生活における数多の試練の中で最後の瞬間まで警戒していかなければならないことではないかと思います。


統一の群れは今混乱の中にありますが、一人一人がもう一度出発時の動機と心情に立ち返り、メシアであるお父様をしっかり掴んで最後まで歩んでいきたいものです。





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