泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

「御言訓読と霊界動員」ー 一歩でも踏み間違えば、すべて覆されるのです。

🔵 真のお父様のみ言



訓読会の重要性がどれほど途方もないか、ということを知らなければなりません。天上世界と地上世界の一族の首を一度に打つことができる内容をもつみ言です。そのことが皆さん自身にかかっていることを知らなければなりません。常に深刻です! 先生一人に、霊界にいる先祖から子孫までのすべてがかかっているので、どれほど深刻でしょうか。一歩でも踏み間違えば、すべて覆されるのです。

訓読会のこのみ言を取り除ける人はいません。このみ言をなくしてしまう知識はありません。このみ言をすべて無効にできる能力は、どこにもないのです。神様も除去できないことを知らなければなりません。サタンまでも除去できる時代を迎え、これがどれほど人類にとって希望的であり、神様にとってどれほど希望的な解放の時代であるかを知ってこれを喜びで迎えなければならないのです。そこに喜びで歩調を合わせ、世界平和を成すことができる皆さんにならなければなりません。

( 1998・11・10 )



成約時代がやって来たので、家庭が完全でなければなりません。家庭的カナン復帰完成時代である成約時代を迎えたので、訓読会を通してみ言に従い、皆さんの家庭が完成、定着すべき時代が来ました。

ですから、そのみ言を聞くとき、流れていくみ言だと思って聞いてはいけないのです。そのみ言は、先生が生死の境で、死が目前に迫る中、「このみ言を残してから逝かなければならない」と思いながら、はっきりと教えてあげたみ言なのです。

( 1998・3・28 )



訓読会をするそのみ言は、父母様が闘ってきた戦勝の記録です。勝利した伝統の記録なのです。天宙解放圏を成し遂げる時まで、この伝統的事実を自分の生活圏に適用させ、自分の生活を毎日のように批判しながら、自分自身が相対的実体圏を立てなければならないのです。

( 1999・4・16 )



訓読会をするときは、読んで、読んで、読んで、先生のその時の心情を超えなければならないのです。心情的に超えなければなりません。

( 1998・4・27 )



今、このように訓読会をするのは、その時、霊界の深刻性をこの地に連結させ、皆さんに相続させてあげようとしているのです。皆さんがその時、その時代の先生の心情をもって、その時に同参できなかったことを残念に思い、その時に協助できなかったことを悔しく思う心で読めば、痛哭するのです。

( 1998・4・17 )





( 第1章 訓読会に関するみ言 第4節 訓読会に臨む姿勢③ )








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