泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

「御言訓読と霊界動員」ーそれは息子、娘に贈り物をしようと考えているからです。

🔵 真のお父様のみ言



訓読会をするのに、「ああ、どうして5時なのか。6時、7時にして30分やればよいではないか」と考えてはいけないというのです。5時間でも短いと思わなければなりません。

一番訓読会を一生懸命にやる人は、お父様ですか、皆さんですか。(お父様です)。自分が話したことはすべて知っているのに、どうして訓読会が必要なのでしょうか。それは息子、娘に贈り物をしようと考えているからです。「私がこの期間に、より良いものを与えなければならない」と考えているので、疲れを感じません。その妙味が分かりますか。

自分の愛する息子、娘たちを涙で教育し、「千里の道も遠くないと思って来てみると、今までこれ以上に価値のある時間はなかった」と言って感動する息子、娘の顔を見て喜び、また、父母の顔を見て喜ぼうとするならば、自分が誰よりも精誠を尽くさなければならないのです。ですから、一生懸命にやらざるを得ないという結論は、妥当な結論です。

( 2004・1・28 )



皆さん父母は、どの家庭でも毎日訓読会をしなければなりません。そして、訓読会のみ言と一つになるために努力し、祈祷し、自分の生涯に不足なものを埋めてしまえば、この天一国の理想が、日増しに自分の解放圏に属し得る位置に立つので、天の喜びとなり、天の栄光となるのです。

( 2004・10・3 )



御飯を食べられなくても、朝食を食べられず、昼食を食べられなくても訓読会をしなければなりません。ですから、霊界をはっきりと知らなければならないのです。訓読会を始めてから1年8ヶ月がたちましたが、この期間で、皆さんは、霊界に対してどれくらいはっきりと知り、信仰基準の次元がどれくらい高まったかを知らなければなりません。

どうして私に訓読会が必要ですか。すべて知っているのです。しかし、皆さんを教育するためには、いくら学者になったとしても繰り返さなければならないのです。伝統を残すために繰り返さなければなりません。

皆さんも同じです。皆さんの一族に対して、繰り返して伝授しなければならないのです。そこでどれくらい精誠を尽くしたかによって、皆さんの子孫が正しい種となって歴史時代に必要な人になるか、そうならないかが決定するということを知らなければなりません。

( 1999・6・26 )




( 第1章 訓読会に関するみ言 第4節 訓読会に臨む姿勢② )







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