泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

SALMOON

一昨日の記事「アラスカ修練会」に関連して小冊子『SALMOON』よりお父様のみ言を抜粋させていただきます。




🔵真のお父様のみ言


「普通の世界では結ぶことのできないそのような因縁を、この世界では美しいものとして結ぶことのできる詩的な内容がいくらでもある。それで、海を知らない人たちは、幸福の分野が制限されているという結論になる。創造主がいれば、陸地を知り、海をよく知って、陸地の美しさを考え、海の神秘性を考えながら、賛美することを好む創造主であって、一面だけ創造したのではそれほど喜びがないであろうということは、極めて理論的な話である。


魚はぬるぬるしている。それは、魚が川を上る時は、常に水の流れに逆らって泳がなければならないからである。魚はなぜなまぐさい臭いがするのか。(笑い)その臭いは魚の一番好きな臭いだろう。それをそのように感じることができないのは、それほど臭覚が発達していないということである。先ほどのおひょう(ハリバ)の雄と雌は互いに相手を臭いと言うだろうか。その臭いによって同じ種類同士で愛することができるのである。魚たちは臭いをかいで、自分の群れを捜す習性がある。これが臭いの一つの役目だろう。そのように群れをなすことによって、保護を受けることのできる環境が自然に形成される。そのように造られているのである。ここに創造主の無限なる調和が潜んでいる。


サケは卵を産んでは死ぬ。卵を産むために雄と雌とが一つとなって生きるのを見ると、………

…人間の夫婦が愛する以上の愛ではないか。雌は卵を産もうと土を掘り、雄は敵から保護してあげる。それこそ理想カップルである。そこで卵を産んで雄と雌は死ぬのである。色が変色しながら死んでいく姿を見る時、先生は大変ショックを受けた。このようにして、子供のために死ぬのである。


では創造主は、どうしてそのように造られたのだろうか。子供がいかに重要であるか、愛が重要であるかを教えるためである。愛が最高のものであり、子供が最高のものであるということを見せてあげる一つの標本として、サーモンを造られたのであろうという理論は極めて妥当なものである。生命を捨てても、その愛と子のためには行かなければならない。このように見る時に、アメリカで互いに愛し合っている若いカップルを、そのサーモンと比べれば千万里の距離があるだろう。ここで、サーモンはムーニーの魚にしなければならないと思った。


先生は今までマッチ・メーカー(結婚の世話人)をたくさんしてきたが、その人たちがサーモンのようになって、自分の愛のために、自分の後孫のために死ぬサーモン以上の人を造って神の国に送ったとしよう。そうすれば神様は私に対して、「レバレンド・ムーンよ!なぜこのようにサーモン以上の人を造ってここに送ったのか」と言うだろうか。それとも賞を与えるだろうか。(「賞を与えられます」)。(黒板で)サーモン(SALMON)にOを加えれば、サーモンではなくサームーン(SAL

-MOON)である。(笑い)ここでSALMOONのSALはSALVATION(救い)のSALで、SALMOONの

MOONはMOONIE COUPLEのMOONである。だからSALMOONはSALVATION MOONIE COUPLE

(救いのムーニー・カップル)である。(拍手)。君たちはサケを食べる時、サームーンであると思いなさい。それでサケに「君はサーモンでいたいか、サームーンになりたいか」と聞けば「サームーンになりたい」と言うだろう。


先生もたくさんのことを学び、たくさんのことを考え、深刻になった。数多くの魚(サケ)が川一杯にずらっと行列を作って上って行くのは、信じられないだろうが、愛を中心として子供のために死ぬために行くのである。そこに不平なく、自然の道理に順応して、自分の死において厳かに行くのは、尊敬に値する事実である。先生は今まで統一教会においてサーモン教育をやっていなかった。だからサーモン教育をしなければならない。


人類がそうなったら、神様はこの地上に来ざるを得ない。人間たちが神様を必要ないとしても、神様は人間の世界において、千年王国の理想を持って住まわれるであろう。そこで、海においても、陸地においても、人間一人を教育するためにこのように造ってあると思う時、創造主のありがたさを実感することができるのである。」



( 1983・8・28 )





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