泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

審判に関するみ言(再掲載)

昨年9月に審判に関するみ言をアップしましたが、そのみ言は心に強く残り、折に触れ思い出しています。その中で特に今の時に必要だと感じられるみ言がありますので(私個人の思いですが)再度揚げさせていただきます。いずれも「天運と聖霊の宿る八大教材・教本」の第3章 天一国入籍 第1節 審判と祝福 の中から抜粋させていただきました。



🔵 真のお父様のみ言


今、審判の日が近づいてきたので、私たちは患難と悲しみの峠を越え、死の祭物となり、新しい真理のみ言をつかみ、新しい人格となり、新しい生活理念を探し立てられる天的な真の愛を中心として動き始めなければなりません。そうしてこそ、真の生活をすることができ、生涯の目的を達成することができ、新しい永生の理想生活を出発するようになるのです。これは神様がされるのでもなく、イエス様がされるのでもなく、皆さん自身がしなければなりません。

( 1957・10・27 (1)終末と審判 )




歴史上に終末があるという話は、天を中心として見るとき、幸せな話です。審判という言葉は、悪い言葉ではなく、福音です。悲しみの立場から数千年間呻吟してきた歴史的な恨を解き得る、怨恨の心をもった息子、娘の恨を解いてあげられる一日にならなければならないので、そのような審判の一日が来なければなりません。

( 1972・11・5 (2)審判の意味 )



今日の人類は、全て鉄条網内に捕らわれています。もし、この東西南北にいる警備兵を全て倒し、鉄条網を全て撤去させられれば、人間は生き返ります。これを撤去させるための行使とは何かというと、大審判です。撤去しておいて、神様の一族は神様がもっていくのです。

審判とは、全てを火あぶりにすることではありません。今日のキリスト教が言うような、火あぶりにして殺すのではありません。殺すのなら、既に全て殺してしまったでしょう。鉄条網を断ち切って、行きたい所に行きなさいということです。

( 1962・10・28 (2)審判の意味 )



審判とは何かというと、清算です。清算して手本となり得るものをよく収拾し、新しい国家編成時代の偉業として、残しておかなければなりません。

( 1988・10・5 (2)審判の意味 )


終末には審判をします。「審判」という文字の意味を調べてみると、「審らかに(つまびらかに)調べて判断する」という意味です。正しくないものを打つということです。

( 1963・3・16 (2)審判の意味 )




実体がサタンの鎖から完全に抜け出すためには、神様の心情と一致しなければなりません。そのためには、神様の愛を根拠として、神様の血統を受け継ぎ得る位置に立たなければなりません。み言を成し遂げるためには、実体がみ言と一つにならなければならず、実体がサタンの鎖から抜け出すためには、神様の心情と一つにならなければなりません。この心情が神様の心情としてのみ残るためには、神様の愛から出発して生まれたという立場に立たなければならないのです。そうでなければ心情的解放を受けられません。

( 1971・4・30 (4)審判と祝福 )


最も大切なことは、勝利できる息子として生まれるためには、勝利できる血統をもたなければならないということです。勝利できる血統をもたなければ、勝利できる心情をもつことができず、勝利できる心情をもてなければ、勝利できる実体として生まれることができず、勝利した実体にならなければ、勝利したみ言をもってサタンを審判し得ないのです。

( 1971・4・30 (4)審判と祝福 )


祝福を受けることが、どういうことか分かりますか。相続です。血統的な相続の因縁を結ぶのです。

ですから、どのようにしなければなりませんか。み言審判、人格審判、心情審判です。これを全て経なければなりません。

最後に残るのは天の血統です。天のその血統が、皆さん個人と、皆さんの家庭、氏族、民族を中心に直接通じ得る、その基準をつくっておかなければなりません。

( 1964・9・18 (4)審判と祝福 )





今日の昼過ぎに北朝鮮が核実験を行なったという緊迫したニュースが飛び込んできました。あまりにも深刻な時ですが、時を越えて身にしみるお父様のみ言をしっかりと胸に刻んで歩んでいきたいと思います。






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