泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

信仰者が注意すべきこと

🔵 真のお父様のみ言


信仰者が注意すべきこと



それでは、信仰生活において最も注意しなければならないこととは何でしょうか。あることに対するとき、ささいなことであろうと、大きなことであろうと、事のいかんにかかわらず、個人的に対してはならないということです。言い換えれば、皆さんの心がぱんと張っていなければならないのです。空気をぱんぱんに入れて、完全に丸くなったボールのような心の姿勢をもつのです。ぺちゃんこではなく、完全にぱんと張ったボールのような心の状態にならなければならないのです。そうでなく、不安な心や、あるいは個人の欲望を中心とした邪悪な心をもてば、丸いボールのような心に角が生じます。

この心が回るときには、平面的に接触しなければならないのですが、角ができると、とがった先の部分から接触します。そうすると、全体を円滑に刺激させるのではなく、全体に反発的な作用をするようになります。そのような立場に身を置けば置くほど、私たちの良心は呵責を受け、良心の基準がだんだんと削減されていくのです。それを考えなければなりません。

ですから、常に円満なボールのような心の状態が必要です。そして、その心に何かの刺激が入ってくれば、心自体が共鳴できなければなりません。固有の振動数が互いに同じ音叉、すなわち二つを置いて、一つを鳴らせば、もう一つは、たたかなくてもその音波に刺激され、同じ振動数で鳴るのと同じように、私たちの心も、共鳴体となり得る円満な心をもたなければなりません。そして、常に、一つの主体から伝達されてくる霊的な波動を感知しようと努力しなければなりません。

そのため、信仰生活をする人には、瞑想の時間が必要なのです。良いことを思い描きつつ瞑想をするのです。そして、心の門を開け放ち、心を丸くして、神様ならば神様を中心として、神様の本性と私の本性が完全に授受できるように、春の季節に該当する人であれば、春の季節の主体であられる神様と共に、その性稟が完全に共鳴できる心の姿勢をもたなければなりません。このように共鳴した内容を中心として、自分が要求する目的に接するようになれば、必ず神様が共にいてくださるのです。

また、そのような共鳴を感じられない立場で物事に接するときには、「神様はこのことを望んでいらっしゃる。私と直接的な関係を結んでいると感じることはできないが、関係は結んでいる。神様が先にこのことに介入していらっしゃる。神様のみ旨がここにある。今は、このみ旨を中心として私が接触する瞬間だ」と考えればいいのです。あることをするときに、私一人でしていると思ってはいけません。その物事自体を中心として見るときに、そこには必ず神様のみ旨が既にあるのです。それゆえに、先を行っているそのみ旨に従っていき、そのみ旨との一致点に基礎を置かなければなりません。私たちの生活を総合してみれば、そのようになっています。



( 「後天時代の生活信仰」第4章 体恤信仰と侍る生活 第1節 体恤信仰の重要性 より )







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