🔵 祈祷 165
お父様! 2000年前のイエス様の聖なる姿が慕われます。み言をお伝えになったイエス様の前には、
索漠たる世の中が置かれており、自分を主とし、自分を高くしようとする群れたちがおりましたが、
そのような群れたちを眺められたイエス様の視線に、限りなく悲しい心情が流れていたことを知るも
のでございます。
ユダヤ教団は教派と教派同士で闘い、信徒たちは信徒たち同士で争う実情を眺めておられたイエス
様! 自分の粗は隠し、人の粗を探して、自分を主張するためにあえいでいたその時の時代相を私たち
が回顧しますとき、やはり世の中と時代に責任を持って来られたイエス様の心が、無限に悲しかった
ことを知るものでございます。
それでも、「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。(マタイ7:7)」と叫ばれたイエス様の心情が推
し量られます。求め、捜し、たたくべき者たちは民族であり、教団であり、個人でございましたが、
求めるべき者たちが求めようとせず、捜すべき者たちが捜そうとせず、たたくべき者たちがたたこうと
しないのを眺められるイエス様は、人間を代身して求めなければならない立場におられ、人間を代身
してたたかなければならない立場におられましたので、お父様、悲しいのはこのことでございました。
人間が訪ねてくれるのを待ち望み送ったメシヤが、むしろ訪ねるべき立場におられ、人間たちが侍っ
てくれるのを待ち望みながら、天は長い歴史路程を準備されましたのに、人間たちから侍られない立
場におられたイエス様の物悲しい心情を、私たちがこの時間感じるよう許諾してくださいますことを
、お父様、懇切にお願い申し上げます。
イエス様は地の人間に対するとき、涙して嘆くしかない事情でございましたが、むしろお父様が祝福
してくださることのできる地となることを待ち望まれました。イエス様のその聖なる姿が、きょう私
たちの目前に顕現するよう役事してくださり、私たちが彼の命じられる声を聞き、黙々とその内心に
流れる天的な心情を思慕し、体恤して、涙しながら敬拝を捧げることのできる群れとならせてくださ
いますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
今、私たちはお父様に向かって手を挙げ裸同然の姿で現れましたので、哀れにお思いください。私
たちの心には、お父様しかないよう許諾してくださり、私たちの望みと私たちの欲望と私たちの一切
の要求条件は、お父様のこと以外にはないよう許諾してください。無限なるお父様の心情に染みわた
ったその心をつかんで生き、その心を体恤しながら生き、その心とともに闘いながら生きることので
きる息子・娘とならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお捧げ
申し上げました。アーメン。 (1959.4.26)
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