泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

祈祷 165 イエス様の悲しい心情を感じさせてください

🔵 祈祷 165



お父様! 2000年前のイエス様の聖なる姿が慕われます。み言をお伝えになったイエス様の前には、


索漠たる世の中が置かれており、自分を主とし、自分を高くしようとする群れたちがおりましたが、


そのような群れたちを眺められたイエス様の視線に、限りなく悲しい心情が流れていたことを知るも


のでございます。


ユダヤ教団は教派と教派同士で闘い、信徒たちは信徒たち同士で争う実情を眺めておられたイエス


様! 自分の粗は隠し、人の粗を探して、自分を主張するためにあえいでいたその時の時代相を私たち


が回顧しますとき、やはり世の中と時代に責任を持って来られたイエス様の心が、無限に悲しかった


ことを知るものでございます。


それでも、「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。


門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。(マタイ7:7)」と叫ばれたイエス様の心情が推


し量られます。求め、捜し、たたくべき者たちは民族であり、教団であり、個人でございましたが、


求めるべき者たちが求めようとせず、捜すべき者たちが捜そうとせず、たたくべき者たちがたたこうと


しないのを眺められるイエス様は、人間を代身して求めなければならない立場におられ、人間を代身


してたたかなければならない立場におられましたので、お父様、悲しいのはこのことでございました。


人間が訪ねてくれるのを待ち望み送ったメシヤが、むしろ訪ねるべき立場におられ、人間たちが侍っ


てくれるのを待ち望みながら、天は長い歴史路程を準備されましたのに、人間たちから侍られない立


場におられたイエス様の物悲しい心情を、私たちがこの時間感じるよう許諾してくださいますことを


、お父様、懇切にお願い申し上げます。


イエス様は地の人間に対するとき、涙して嘆くしかない事情でございましたが、むしろお父様が祝福


してくださることのできる地となることを待ち望まれました。イエス様のその聖なる姿が、きょう私


たちの目前に顕現するよう役事してくださり、私たちが彼の命じられる声を聞き、黙々とその内心に


流れる天的な心情を思慕し、体恤して、涙しながら敬拝を捧げることのできる群れとならせてくださ


いますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。





今、私たちはお父様に向かって手を挙げ裸同然の姿で現れましたので、哀れにお思いください。私


たちの心には、お父様しかないよう許諾してくださり、私たちの望みと私たちの欲望と私たちの一切


の要求条件は、お父様のこと以外にはないよう許諾してください。無限なるお父様の心情に染みわた


ったその心をつかんで生き、その心を体恤しながら生き、その心とともに闘いながら生きることので


きる息子・娘とならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお捧げ


申し上げました。アーメン。 (1959.4.26)








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祈祷 164 メシヤを迎えられる姿とならせてください

🔵 祈祷 164



メシヤを迎えられる姿とならせてください




お父様! 30余年間、荒野でいなごとはちみつを食べて修道した、洗礼ヨハネが抱いた願いは何であ


りましたでしょうか? 彼の願いのすべては、来られるメシヤを迎えることであったことを知っており


ます。


メシヤを証した彼は、メシヤと一つにならなければならない天倫の因縁でございましたが、彼が私


の心にあり、私が彼の中にあって、彼のものは私のものであり、彼の心情が私の心情であり、彼の生


生が私の生涯だという、すなわちイエス様のすべてのものが洗礼ヨハネの心中に反映され、一体を成


さなければなりませんでしたが、彼はそのようにはできませんでした。


ヨルダン川の多くの群の前で手を挙げ、天の息子だと証した記憶を持っていた洗礼ヨハネは、悲しく


寂しい姿で獄に閉じ込められ、自分の物悲しい身の上を嘆息せずにおられない立場で、自分が証した


メシヤ、天が証し立ててくださったメシヤに弟子たちを送り、「『きたるべきかた』はあなたなので


すか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか(マタイ11:3)」と聞き返した場面は、歴史的


な悲しい場面であり、天が越えがたい悲しい場面であったことを私たちは知りました。


歴史の流れの中に、洗礼ヨハネの路程はそのまま残っております。新しい理念を見つけるためにあえ


いでいる私たち、新しい歴史を待ち望みながら準備するという私たちが、今、洗礼ヨハネを自分と交


換して考えることのできる者たちとなるよう許諾してください。


天の民が天のみ旨を排斥した事実を、歴史を通して知りましたので、今日私たちがそのような歴史


的な二の舞を再び踏む者たちとならないよう主管してくださいまして、荒野で装わせ準備をおさせに


なった、そのみ旨を失う者たちとならないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます





きょう私たちの体と心が、お父様の前に面目ないことを悟るよう許諾してください。お父様の勧告


なさるみ言を聞くことができ、イエス・キリストの悲しい心情を引き継ぐことができるようにしてく


ださり、天的な悲しい心情を抱き、人間たちが知ることのできない新しい理念の主人公を迎えること


のできる心と体となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


この時代を守りいく主人公はだれであり、この時代に残ることのできる民族はどのような民族であ


るかを案じ、そのような姿を慕いながら悲しい心情に徹することのできるこのひとときとなるように


してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。聞こえてくるみ言と聞こえてくる声


に耳を傾け、そこに同調し反応する生活をする私たち、今、私たちが歩んできた道を振り返り、新し


く目覚めるべき時が参りました。




混乱と混とんの中に置かれ、生死を決めるべき立場にある自分自身を案じる立場から、私たちが抜け


出られるようにしてください。信じることのできない社会であり、信じることのできない世界である


ことを知っておりますし、信じることのできる理念の世界に浸り、その理念の世界と因縁を結ぶこと


ができるよう自ら目覚め、自我を認識し天をつかむべき時となりましたし、心の変革を起こさなけれ


ばならない時になったということを知っております。




このような環境に処している自分であることを肝に銘じ、新しい「私」を追求できるよう導いてく


ださり、恨みの染みわたった悲しみの峠を越えに越えて、歓喜の姿を迎えることのできる私たちとな


らせてくださり、その姿を慕い、その世界に引かれ、その世界と和することができるようにしてくだ


さい。今日この社会環境が自由でありえず、悲しみが染みわたっていることを悲痛に感じて、これを


遮って闘うことのできる力と勇猛さをお与えください。永遠であられ絶対的なる天がおられるとしま


すなら、罪悪の一切を押し出すことのできる能力を加えてくださいますことを懇切にお願い申し上げ


ながら、すべてのみ言を主のみ名によってお捧げ申し上げました。アーメン。 ( 1959.4.12 )








60年という時を感じさせない、今の私たちにとってとても身につまされる、決意させられる祈祷ではないかと感じます。








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祈祷 163 〝 十字架を越えて復活の栄光を歌わせてください 〟

🔵 祈祷 163



十字架を越えて復活の栄光を歌わせてください




お父様! 時が近づけば近づくほど、復活の主に出会うのをためらう心がわき出て参ります。時が近


づけば近づくほど、死の悲しい因縁をお抱きになったイエス・キリストの姿が連想されるようにして


ください。




刑具にかけられ亡くなられた彼は、恨みを抱いて逝かれた方であったことを知りました。彼が徘徊


されたゴルゴダの山頂は、因縁の涙の峠であることを知りました。今日まで因縁の歴史に生き残り、


人類の心中心中に復活し、入っていくことを知りました。このすべてのものが、因縁の歴史的な摂理


のみ旨の中で流された血と汗がありましたがゆえに、その因縁が存在する間、その血と汗によってす


べてのものが動いていくことを知っております。今日、そのような心情に徹する私たち、そのような


境地にある私たちとなるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。




このように行かれた主、新郎であられる主は、因縁の歴史を経て再び訪ねてあげようとおっしゃい


ました。主が自分の心、体を傾け、私たちを訪ね立てようとする心情が懇切であられることを知って


おりますので、私たち自身の姿を備え、万民の前に装った姿を誇りたい心が懇切でありますよう許諾


してください。


その道を行こうとすれども、悪なる世の中であり、主が行かれたその道が残っているので、耐えま


た耐え、また耐えて、民族の残った峠を歩まなければなりませんし、世界の残った峠を歩まなければ


なりません。今、地に残された十字架の峠を越えることのできる殉教の歴史を耐えることによって、


持ちこたえなければならないことを私たちは初めて知りました。


今、新しい心で因縁を感じ、新しい心で待ち望み、新しい心で耐えながら、お父様につかまり痛哭す


ることのできるその日まで進むことのできる私たちとなるようにしてくださり、積もった悲しみの因


縁を越えることのできる私たちとなるよう許諾してください。喜びの因縁を誇ることのできるその時


間まで、耐えて残され、死亡の権限を押さえ、復活の栄光を歌うことのできる息子・娘たちとならせ


てくださいますことを懇切にお願い申し上げ、このすべてのみ言を主のみ名によってお捧げ申し上げ


ました。アーメン。 ( 1959.3.29 )







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