泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

聖婚問答

神様の呼称、天一国国歌、家庭盟誓などの変化に初めは戸惑い違和感や疑問を感じた自分でありましたが時が経つにつれそのような思いも少しずつ薄れ習慣的に受け入れていくようになっていきました。


そんなある日のこと教会で祝福式の様子を映像で見る機会がありました。お母様が主礼をされていました。何気なく見ていた自分でしたが聖婚問答が変わっていることに気づいた時少なからずショックを覚えました。4つではなく1つにまとめられかなり短くなっていたのです。心に静かな衝撃が走りました。“聖婚問答が変わっている‥‥” しばらく言葉を失いました。映像が終わり周りのみんなはいすを動かしたりお茶の用意をしたりしています。私も手伝うために動き別に「聖婚問答が変わってる!何で?どうして ?」と騒いだりはしなかったのですがこの時のことは私の心のなかでかなり大きな疑問として残りました。


今思えばいろんな疑問はそのつど口に出して言えばいいのに何故そうしなかったのでしょうか。それは思ったことをすぐ口にするタイプではない自分の性格もありますが自由闊達に意見や疑問点などを述べ合うことをしない日本人気質、そして何でも「何か意味がある」として受け入れようとする習慣、また教会内であまりそのようなことを口にする人がいない、ということがあったかもしれません。後日だいぶあとになって私はこのことをある先輩家庭の方に話したことがあります。長年公職に就き責任者をして来られた方でしたがあまり意に介しておられないようでした。お母様がなさることなので私たちがあれこれ言わなくていいんですよ、という感じです。


いろんなことを亨進様によって明らかにしてしていただいた今思うことは教会の中でサタンは長年にわたり準備をしてきたんだな、ということです。亨進様は家庭連合の食口が「魔法にかかってる」といわれますがその魔法は一朝一夕にかけたものではないということです。それは教会の中でお父様の教え、指導を利用しながらその真髄とは似て異なるものを作り上げてきた、本然の教会の文化とは違うものができてしまっていた、ということではないかと思います。そして私自身もその中で過ごしてきた故にたとえ長年慣れ親しんできた兄弟姉妹ともに歩んできても本当の心の復活を得ることができずにいたんだろうなと感じます。


数々の変更はまだまだ続きます。次回はみ言葉について書いていきたいと思います。

それでは、また。






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小さな疑問

真のお父様の聖和後いろんな変更がなされましたがその度に小さな疑問と違和感を感じていました。


最初に感じたのは神様の呼称が『天のお父様』から『天の父母様』に変わった時です。まず思ったのは ‘’神様は本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体だから神様に父性と母性があるのはわかるけど…でも被造世界に対しては性相的男性格主体なんだから『天のお父様』ではいけないんだろうか?‘’ ということでした。

そのような疑問を持ちはしたのですがそのころの私はまだ純粋に本部を信じ、いろいろあったとしても責任者を信じ、勿論真の父母様は一体であると信じていたので疑問を突き詰めて考えることはしなかったのです。ただ違和感はずっと続き『天の父母様』という呼称には全く情がいきませんでした。


次に驚きと疑問を感じたのは天一国国歌が変わった時です。天一国歌が『栄光の賜物』に決まったと聞いた時、大好きな聖歌だったのでとても嬉しかったのです。お父様によって書かれた由来も知っていたので本当に国歌にふさわしい歌だと思いました。

所属教会では練習もしてました。譜面が二通りあるので統一しますとちゃんと配られてずれないように練習しました。

それが何か表面的な軽い歌詞の歌に変わってしまいがっかりしました。ずっと情がいかず教会では仕方なく歌っていましたが家や車の中ではよく『栄光の賜物』を歌っていました。その後本部から小冊子で変更の理由が述べられていましたが “そんなことがメシアが決められた国歌を変える理由になるだろうか?”と全く納得がいきませんでした。


その後もいろんな変更がなされていきます。私は何が起きているのか知るよしもなく末端食口として従っていくのみでしたが心の奥底に打たれていく‘’疑問‘’ という点は少しずつ増えていきます。そしてその点はやがて線になっていくのでした。


今日はこの辺で。また書かせていただきます。




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心の旅

「ブログを書きませんか」と声をかけていただいた時 “ 自分に発信したいこと、発信できることが

あるだろうか? あるとしたら何だろうか?”と考えました。あれこれ考えての結論は自分に書けるのは

自分がいかにしてサンクチュリアンになったか、ということではないかでした。


サンクチュアリのブログ村には豊富な情報、個性豊かな素晴らしいブログが沢山あります。そんな中で地方の教会でささやかな責任分担をいただいて歩んできたおばさんシックの私が書くとしたら今日に至るまでの迷える子羊のような心の旅路に関することかな、と思ったわけです。皆さんもそれぞれいろんなことを通過されて今日亨進様のもとに集っておられると思います。その中の一人として自分のこと自分が感じたり思ったりしたことなどを導かれるままに綴っていこうと思います。これまでインプットすることが多くアウトプットは殆どしてこなかった自分ですがこれからはしばらくアウトプットをしていこうかと思います。


書くことを前提としていろいろ考えてみるとこれまでのいろんなことが脈絡なく湧いてきます。それを理路整然とまとめつつ表現していくことは私にとって簡単ではない作業になるかと思います。脇道に逸れたり前後が逆になったりとりとめない感じになるかもしれませんがおばさんシックのつぶやきとして気楽に読んでいただけたら、そしてちょっぴり共感したり何かの参考にしていただけたら嬉しいです。


それでは、また。梅雨明けも近く暑くなりそうですが皆さんどうぞくれぐれもご自愛ください。







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