泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

終末と審判

🔵 真のお父様のみ言


人格が破綻し、み言を失ってしまったのは、どうしてでしょうか。神様の真の愛を失ってしまったからです。堕落は、心情を中心として神様と人間が一つになれなかったことであり、真の愛を中心として一つになれなかったことです。今日、統一教会が心情の世界を論議するようになった理由が、正にここにあるのであり、心情の世界を創建しようとする理由も、ここにあるのです。

ところで、いくら心情の世界を論議したとしても、自分自身がそのような心情をもてなければ、その世界とは何の関係もありません。ですから、終末にみ言審判、人格審判、心情審判の三大審判がある理由が、ここにあるというのです。


( 1969・7・13 「天運と聖霊の宿る八大教材・教本」第3章 天一国入籍 第1節 審判と祝福

(1)終末と審判より)



上記のみ言を読んで、残りの人生を心して歩まなければ、と考えさせられます。み言の学びと体恤、神様の心情の相続、愛の人格の完成、どれも程遠い自分です。今まで数10年、何をしてきたのかと恥ずかしく思います。全体目的と個体目的、言葉ではわかったつもりでも、いつの間にか訳のわからない歩みになってしまってたようです。今からでも再度決意して初心に戻って取り組んでいきたいと思います。







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『世界経典』

🔵 真のお父様のみ言 〔 天運と聖霊の宿る八大教材・教本 35,36p 〕



● 『世界経典』は「天の国の聖書」です。これは『天聖経』を中心として出てきたものです。( 2009・11・4)



●今まで人類歴史の方向が間違っていたのですが、人間が行くべき人生の方向を提示できなかったので『世界経典』が出てこなければならないのです。『世界経典』を中心として、神様について、人間について、そして霊界について学ばなければなりません。これを通して世界の宗教を統一し、人類の歴史観を一つにするのです。ですから、神様と人間と全ての霊界についても、摂理史的な摂理観を立てなければならず、これを「天宙平和連合」にまで連結しなければならないので、これから『世界経典』を訓読の材料として活用するのです。( 2009・4・13 )



●これから新しい時代に入っていくので、新しい経典が必要です。『世界経典』を作るために、どれほど苦労したか分かりません。一つの宗教の問題を調べて分析していくのも大変ですが、数多くの宗教、歴史時代に対する観点の違い、摂理時代への生活の違い、環境の変革、政治的、社会的、経済的、文化的変化まで、変化していくあらゆる環境を、どのようにして総合して一つの方向にもっていくのかというとき、それは大変なことだというのです。

ですから、『世界経典』とは、「世界のあらゆる道のモデル」という意味です。そのようなものを、神様を中心として私たち統一教会は、数10年前から道を築いてきたのです。神様についてまで、全て研究しました。その背景がどれほど膨大かということを皆さんは知らなければなりません。( 2009・4・22 )





残念なことに天福函を授かることができなかった我が家には世界経典はありません。ですのでこの本に関しては何も語ることができませんが、氏族は持っているかと思いますので、機会を見て読んでみたいと思います。世界経典をお持ちの方、読まれた方が、感想や情報をお寄せいただけたら大変ありがたいと思います。



では、また。






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『平和の主人、血統の主人』

🔵 お父様のみ言 〔 天運と聖霊の宿る八大教材・教本 33〜35p 〕



●『平和の主人、血統の主人』を通して、先生がアメリカを中心に摂理してきた内容が、全て明確に分かるようになります。アメリカの独立233周年記念日の3日後、7月7日に語ったみ言です。7掛ける7は49,つまり50の峠を越えていくのです。その時に発表したこの教材を中心として、先生が宣布してきた全てのものが分かるようになっているのです。( 2009・8・15 )



●このみ言(『平和の主人、血統の主人』)を学べば、全ての摂理の内容を知ることができます。この内容を中心として、重要な歴史的結実期であるこの時に、天がどのように摂理されるのかを、全て知ることができます。( 2009・7・13 )



●この小冊子(『平和の主人、血統の主人』)が、どれほど貴いものか知っていますか。このような重要な本に関心をもたず、後回しにしておいて、そのまま歩き回るのですか。皆さんは、先生がまた同じ話を繰り返していると考えるかもしれませんが、そのように考えてはいけません。繰り返しているのではありません。完全に体恤できているのか、ということが重要なのです。( 2009・8・11 )





この本の日本語版は、8月2日の記事でも書かせていただいたように147ページの小冊子ですが、既にかなりの削除がなされて、とてもわかりにくくなっています。そして天一国経典平和経の中では、改竄が施され、わずか16ページとなって収録されています。


どうしてそのようにされたのかを思った時に、それだけ重要なことが書いてあるからだということが明白です。以前777さんがブログで削除された部分も調べてアップしてくださり、とても緻密に解読しておられますので、ぜひ未読の方は読まれたらよいのではないかと思います。


昨夜久々に記事の一部を読ませていただきました。そしてその精誠に改めて感謝の思いを持ちましたが、膨大な量であり私自身まだまだ理解不足でありますので、記事を参考にさせていただきながら祈りつつ再度読んでいきたいと思いました。


お父様の「このような重要な本に関心をもたず、後回しにしておいて、そのまま歩き回るのですか」というみ言が心に響いています。




では、また。





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