泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

お母様について

教会に対しての、またお父様聖和後のいろんな変更に対しての疑問を解決すべく調べていた私でしたがその過程を通して今まで考えていなかった問題に遭遇するようになりました。それはお母様や清平に関することでした。


お母様に対してそれまでどのような思いを持っていたかというとお父様と共に筆舌に尽くしがたい試練の道を通過されながら愛と忍耐と許しで越えてこられた女性であり人類の真の母として勝利された偉大な方として敬愛していました。

そしてお母様の偉大さはお父様の対象として絶対信仰、絶対愛、絶対服従で侍ってこられたことであり世の中の実力はあるけど自己主張の強い女性などとは次元の違う方だと思ってきました。


私は献身生活をしていた頃、つらいことがあればあるほどお母様のことが思われました。“真の母“という小冊子が大好きでその中にある “忍耐して祈る”、“要求せずに陰で祈る” という箇所に感動して自分もそのようになりたいと思っていました。その本は家庭を出発する姉妹にプレゼントして今は手元にありませんが‥‥。最近調べたら光言社で今は出ていないようで他のお母様の新しい本がいろいろ出版されてるようでした。


お母様の夢も何度か見ました。千葉修練所で21日修参加中に見た夢はとても印象的でした。お父様とお母様が韓国式の食卓でお食事されているのですがお父様がスプーンでお母様に食べ物を口元まで運び食べさせておられるのです。そしてお母様は素晴らしい笑顔でそれはそれは美味しそうに召し上がっておられ私はそれを見て “ああ、万物ってこんなに喜んで美味しそうにいただくものなんだな‥‥” と思う夢でした。


また実体のお母様にお会いして聖霊体験のような恩恵を受けたこともあります。お母様からとてつもなく清く芳しい霊気を肌で感じたのです。その時 “このお方はまさしく聖霊実体なのだなあ” と思いました。


そういう私でしたから神山会長の講演文の中にお母様のことを“晩年のお父様に対して従順でなかった、お母様は変わられた” と書かれているのを読んだ時信じ難くそんなことを言う神山会長に対し不審な思いを持ったりしていました。


そしてお父様聖和後お母様が重責を担われてどれ程大変だろうか、お体は大丈夫だろうかと思い毎日お母様が守られるよう祈祷を捧げていました。それは食口であれば皆そうではなかったかと思います。


ただ私は今思えばお母様に関し少し気になることが以前からありました。それはお父様がまだご健在の時のことですがお二人で写っておられるお写真のお母様の表情が浮かない顔、心そこにあらずと言うかしらけたというかそのように見えることが何度もあったのです。しかしそれは瞬間的に感じる微かなものでしたし “お疲れなんだろうな‥‥”と考えたりしていました。今になってみればお母様のそのような表情の意味もわかるのですが‥‥


お父様聖和後のいろんな変更に関して調べていけば必然的にお母様のことにつながっていきますが当時の私はまだはっきりわかっていませんでした。ネットではいろいろ出ていましたがお母様を信じていたのです。しかしその後私は直視しなければならない核心的な出来事に出会うことになるのですががそれが教会で映像で見た「7・1講話」でありました。



今日はこの辺で。





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情報の選択

ブログ村を訪問するようになってそれまで経験したことがない程教会に関する沢山の情報に接するようになりましたがそのことは同時にその中から良質な情報を選択していく必要があることを意味しました。“良質な” と言うのは人によって定義が違うかもしれませんがまず真実であること、また発信する動機が善であることなどが上げられるかと思います。


主人に「それが正しいかどうかどうやって判断するんだ?」と言われた私はあることを思い出しました。それは若い頃にあるアメリカ人に言われた言葉です。“新聞などの記事は事実、推論、書き手の判断の3つが入り混じってる。どれが事実でどれが推論、判断なのかちゃんと押さえて区別して読まないといけない。そうしないと偏向した記事の場合影響を受けてしまう” とアドバイスされたことがあったのです。


それから記事を読む時はできるだけ事実と確認できることを押さえるように努力しました。とは言ってもそれだけが総てではなく好感が持てるというか感性で惹かれる記事もありますね。そういう人のブログはよく読ませていただきました。そして今そういう方たちがサンクチュアリに来られてるのを知ってやはり心性、霊性のようなものが相対してたのかなあと不思議でもあり嬉しく思っています。


そして何より大事なのはお父様のみ言に照らし合わせて確認することだと思いましたので本棚に収まって長いこと読んでなかった本を引っ張り出して読むということが続きました。「み旨と世界」「祝福家庭と理想天国」「宗族的メシア」など久しぶりに読んで恩恵を受けました。疑問に思ってきたことに答えを見出したかったので深夜まで祈祷室にこもりスマホを見たりみ言を読む毎日でした。時折部屋を覗いてくる娘に「お母さん、またスマホしてる!やり過ぎ!のめり込んじゃダメだよ!」と言われながら。(それまで私が娘に言うセリフだったのですが‥‥😆)


そのような日が続くうちに私は今までの疑問と違った別の問題にも出会うようになるのですがそれがお母様のことであり清平に関することでした。そしてそのことは幹部の不正などとは比較にならないくらい私にとって大きな試練となるのでした。


それでは、また。





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ブログ村の様相

神山会長の講演文を検索して読んだことをきっかけに私は統一教会ブログ村を訪問するようになりました。そこには実に数多くの様々な種類のブログがありましたが最初はよく「目安箱」というブログを読んでいました。責任者の様々な問題に対して現場で直接声を上げることのできない食口達の文字どおり「目安箱」でありました。(今では更新されてないようです)我が教区で起きたことが決して一教区に限ったことではなく全国各地で似たようなことが起きていたことを知りました。そしてどこでもなかなか食口の声は本部に届かないか届いても適切な対応がなされていないことがわかりました。


現場でなかなか声を上げることができず上げても適切に対処してもらえないということは私も自分の所属する教会において体験していましたが振り返って見ればそれは組織の構造に原因があったのだと今になって思います。亨進様がよく“中央集権”という言葉を使われますが今そのことを強く実感する次第です。時代はとうの昔に家庭連合時代、訓読家庭教会の時代になっていたにもかかわらずずっと献金を上げやすいピラミッド型の組織が続いて来たんだなあと。またそのような組織であるからこそ現場で自由闊達に意見を述べ合い皆で作り上げていくという雰囲気にならず上意下達の閉塞感漂う教会になってしまい、ネットで意見を自由に述べ合うブログ村が盛況になっていたんだなと感じます。


しばらくブログ村で自分の関心のある記事を読んでいくうちに、実にいろんな種類のいろんな立ち位置の方のブログがあることに気がつきました。統一教会の公職者や食口、二世、三男顕進様を支持する方達、第四イスラエル研究会、元信者の方、批判告発する方‥‥etc. (そのころはまだサンクチュアリはありませんでした)そしてその方達が立場は違うけれども実に真剣に自分の知り得た情報や意見を発信し多くの方が真剣に教会を改善したい、改革したいと切なる思いをもたれていることに驚き、感心し、また今まで自分は井の中の蛙だったなあと思いました。実際私は教会に来てから30年近くになりますが情報、という点においてはここ2年余りでネットから得た情報の方がその期間に得た情報より多いかもしれません。特に私達一般の末端食口が知り得ない真のご家庭に関することは本当に初めて知ることが多くて驚きました。そしてここにひとつ課題があることに気がつきました。それは豊富な情報のなかでいかに正しい情報を選択するか、ということです。


ある時主人に自分がネットで知り得たことを話した時こう言われたのです。「情報に振り回されたらいかん。それが正しいかどうかどうやって判断するんだ?」と。まさにそのとおりです。そこで私も記事を読む時にあることを念頭に置いて注意して読むようにしました。




次回はそのことに関して書いてみたいと思います。

それでは、また。





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