泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

陰謀論について

最近Amazonで昔読んで衝撃を受けた一冊の本を取り寄せて再読してみました。昭和57年に山手書房から出版された本です。題名は「情報の選択ー‘世界を操る裏の陰謀を見抜け’」、著者は既に故人となられましたが当時西日本新聞解説委員長をされてた益田憲吉氏です。当時新聞に “ くるま座 ” というコラムを書かれてて、私はそのコラムが好きでいつも興味深く読んでいました。著書の‘選択シリーズ’(「日本人の選択」、「教育の選択」、「情報の選択」)は全て読みましたが、この最後の「情報の選択」はとてもショッキングなものでした。内容を一口で言えばいわゆる‘ 陰謀論 ’ のはしり、と言えるかもしれませんが、当時20代前半の私にとっては初めて知る衝撃的な内容でフリーメイソンやユダヤ金融財閥の存在もこの時初めて知りました。


当時大きな書店では世紀末に関するものやユダヤ本も多く出ており、何冊か買って読み友人たちと話題にしたりしていましたが、その数年後教会に出会って原理を知った後に、著者の益田氏との不思議な出会いがありました。当時み言を知ったばかりではありましたが、何とかこの方に統一原理や勝共理論をお伝えしたいと、書籍を送ったり手紙を書いたりしていました。が、何とその後若くして(60代)亡くなってしまわれました。


献身後は、慌ただしい生活の中でみ言以外の書籍を読むことはほとんど無かったのですが、その時知った内容はいつも頭の片隅にありました。そして “ メシヤであるお父様はこのことをどのように見ておられるのだろう ” というのが私の疑問でした。そしてお父様聖和後のここ数年はネットを見るようになり、巷でいろいろ取り沙汰されている‘ 新世界秩序(NWO)’ のことも気になっていましたが、いろんな情報が錯綜し陰謀論そのものを荒唐無稽なものとする論調もあり、真実はどこにあるのだろうと思いながら知る術がありませんでした。


そういう自分でしたので、2015年1月25日の亨進様の「神様王妃を救い給え」の説教は本当にいろんな意味で感謝でありました。それまで教会に対して抱いてきた疑問と共に、その件に関して30年以上前から心の底にあった疑問に対する答えが与えられたからです。それは次の箇所でした。


「神様は何故、ここで私に政治を学ばせたでしょうか。政治が民衆の統制手段として、利用されている様子を何故学ばせたのでしょうか。一つの略奪階級が、政治を理解することにより、統制体制を作り上げる様子を、何故学ばせたでしょうか。それを話したとき、人は私が、気が違ったと思いました。 (中略)

独占、多国籍企業、中央銀行家たちの巨大権力などが、財力を用いてマネーサプライを操作して、各国政府を掌握する様子を検討しました。彼らは、政治家を買収して操ることが可能です。このような内容を説教するたびごとに語り、アメリカでは、無制限な選挙献金が認められたことで、大統領までもが、このような勢力に操られていることを学びました‥‥」


まだまだ続きますがこの内容に触れた時、私は教会で起きていることと世界で起きていることが連動し繋がっていることを知りました。その後現在に至るまで、亨進様の説教は益々深みとスケールを増して、今世界で起きていることを私たちに具体的に実にわかりやすく教えてくださいます。これは正に神業であると私は説教の度に思うのです。聖書の解説もそうですが、世の中のどこでこのような内容を学ぶことができるでしょうか。神様、イエス様、お父様が共におられる亨進様であられるから、このような内容が私たちに与えられるのだと感謝と感激に絶えません。艱難の時、実に深刻な時でありますがこのような内容を知る立場に立てていただいたことを心から感謝すると共に、今自分たちにできることを精一杯なしていかねばと思う次第です。







よかったら、クリックお願いいたします🌾

審判の意味

🔵 真のお父様のみ言


歴史上に終末があるという話は、天を中心として見るとき、幸せな話です。審判という言葉は、悪い言葉ではなく、福音です。悲しみの立場から数千年間呻吟してきた歴史的な恨を解き得る、怨恨の心をもった息子、娘の恨を解いてあげられる一日にならなければならないので、そのような審判の一日が来なければなりません。 ( 1972・11・5 )


今日の人類は、全て鉄条網圏内に捕らわれています。もし、この東西南北にいる警備兵を全て倒し、鉄条網を全て撤去させられれば、人間は生き返ります。これを撤去させるための行使とは何かというと、大審判です。撤去しておいて、神様の一族は神様がもっていくのです。

審判とは、全てを火あぶりにすることではありません。今日のキリスト教が言うような、火あぶりにして殺すのではありません。殺すのなら、既に全て殺してしまったでしょう。鉄条網を断ち切って、行きたい所に行きなさいということです。 ( 1962・10・28 )



審判とは何かというと、清算です。清算して手本となり得るものをよく収拾し、新しい国家編成時代の偉業として、残しておかなければなりません。 ( 1988・10・15)



終末には審判をします。「審判」という文字の意味を調べてみると、「審らか(つまびらか)に調べて判断する」という意味です。正しくないものを打つということです。 ( 1963・3・16 )



本来、神様の審判というものは、創造の当時にはありませんでした。堕落のために生じたものです。

言い換えれば、サタンによって生じたものです。神様が愛する息子、娘を打つようなことを、神様はできません。赦してあげてサタンから抜け出すことができるならば、その赦しの道をいくらでも選ぶのです。 ( 1976・1・1 )


(「 天運と聖霊の宿る八大教材・教本 」 第3章 天一国入籍 第1節 審判と祝福 (2)審判の意味 より)




これまで審判について漠然としたイメージしかありませんでしたが、お父様はこのことについて

以前から多くのみ言を語っておられたことを知りました。「鉄条網を断ち切って、行きたい所に行きなさい」というのは、正に今のことだと思います。今こそ各自が神様に真剣に祈り求め自らの良心に尋ねて、自由と責任において正しい選択をなすべき時なのでしょう。この混沌とした混乱の時代にあって、一人一人が人任せにするのではなく、これまでの習慣に沿って曖昧にするのではなく、深刻真剣に求めなければならない、目覚めなければならない、大変な時を迎えているのだと感じます。


まだ眠りの中にある、あるいは迷いと葛藤の中にある全ての兄弟姉妹に、天の導きがありますよう心よりお祈りいたします。






よかったら、クリックお願いいたします🎨

愛する喜び

🔵 真のお父様のみ言


伝道がうまく行かない時は、望みを失わず備えておきなさい。


時が来るまで誠意を尽くしなさい。そして善なる人を真心から慕いなさい。

( み旨の道より )



「どうしたもんじゃろのう〜」という言葉は連続朝ドラの主人公がよく口にしていますが、最近の私もこのセリフが出てくるような状態でした。家庭連合の食口に何とか目覚めてほしいという思いで授受ができる僅かな人に少しずつ伝えていましたが現在行き詰まった状態になっています。一人は教会からの内容と私から聞く内容の板挟み状態で、気の毒なことに血圧が上がり病院に行くようになりました。私が渡した資料も今は読む気がしないようで「元気な時じゃないと読めない」と言っていました。


立たされた立場やいろんなしがらみ、今までやってきたこと信じてきたことを否定したくない思いなどいろいろあるようですし、何よりもまだこちらから聞くことが本当には心に響いてこない、ということが大きいようです。今の時を思えば早くわかってほしい気持ちがありますが、あまり無理して追い詰めてはいけないという思いになりました。


昨夜は夜中に目が覚めて眠れなくなり、これからどうしていこうと、どこから一点突破できるだろうかと悩みました。久々に長い祈祷をした後に、発想の転換が必要な自分であると思わされました。

そして今日はある方の家に万物(主人の釣果)を持って行きました。午前中留守だったので午後にまた行きました。ただ喜んでもらいたい、そういう思いで行きました。教会長が嫌で教会から遠ざかってた家庭です。元々家業が忙しくたまにしか来られてませんでしたが経済面でよく貢献してこられた家庭です。


帰宅したばかりとのことで玄関先でしたが、満面の笑顔で喜んでくださり沢山のお土産をいただきました。連合からサンクチュアリのこと、私のことも否定的に聞かれてたようですがそういうことは関係なく素朴な人と人のつながりが蘇りました。喜んでいただいたことで私の心も嬉しくなり、生霊要素と生力要素がフィードバックできた感じで足取り軽く帰途につきました。


ついつい結果を焦る心が出てきますが、上記のお父様のみ言を胸に刻んで希望を持って歩んで行こうと思います。







よかったら、クリックお願いいたします🍇