泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

サバイバルをめざして

これまで亨進様のみ言から教えられたことは数えられないほどありますが、その中で実学に関するような内容が沢山あり、私も少しずつでも生活の中でできることをしていきたいと思っています。一口で言えば ‘ たくましい人間になる ’ということでしょうか。今までこの日本で恵まれた安全で文化的な生活を送ってきたわけですが、既に審判の時代、艱難の時代に突入していますので、いつ何があるかわかりません。いろんなことを想定して内外の備えをなしていかねばならないのだと思います。


この件に関して主人は大変頼りになる存在です。田舎で自然の中で育ってきたのでいろんなことができます。都会で育った私とは大違いです。ある時「あなたは無人島でも生きていけるでしょうね」と言いましたら「俺もそう思う」と言っておりました。今は自営の仕事と趣味と実益を兼ねた魚釣りで忙しいのですが、小さい時家の畑仕事を手伝っていたので農業もできそうです。仕事は住宅設備でいろんなことをします(配管、リフォーム、大工仕事、etc.)。山菜採りもできますし、料理もお手の物で私より上手いかもしれません😆 もともと体力、運動能力にすぐれています。


問題は私です。年を重ねるにつれて体力の低下、反比例して体重の増加と笑えない状況になっています。運動もどちらかと言えば苦手です。とても武道ができる段階ではありません。以前家族でアクションやサバイバルの映画を見てる時「お母さん、こんなこととてもできない」とつぶやいてましたら、主人と娘に「お母さんには到底無理だね」「うん、すぐ死ぬよね」などと言われてしまいました。

しかし、亨進様の説教や指導の内容、今の危機的な世界情勢、自然災害の増加など考えると甘えたことを言ってられません。少しずつでもできることしていかねばと思います。


とりあえず多少の食料と水の備蓄、防災用品の備えはしましたが、十分ではありません。農業をする土地もありませんが、主人が釣果を地域の方に配るので野菜はよくいただきます。物々交換のようです。今年の夏はゴーヤ、きゅうり、茄子、レタスなどを沢山いただきました。


あとこれからでも自分を鍛えなおさねば、とヨガをすることにしました。いきなり武道というのは無理があるかと思いますので、若い頃やったことがあるヨガをまた始めて錆び付いた体を整えていこうと思います。地元に教室がありますが、時間帯が合わず月謝も高いので、本とDVDを買って自宅ですることにしました。体力がついてきたら次の段階に進みたいと思います。


たまに授受する連合の姉妹にヨガをする話をしましたら、一緒にやりたいと言われました。彼女は60代ですが、体の不調をよくしたい、元気になりたい、ということのようです。交流の場にもできそうです。


ささやかな一歩ですが、天一国の市民としてしっかり生きていけるように、できることから取り組んでいきたいと思います。







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『原理講論』に関するみ言

🔵真のお父様のみ言


『原理講論』は劉協会長が書いたのではありません。1ページ1ページすべて鑑定を受けたのです。私が許諾しなければ、それに手を出すことはできません。

もし間違って書かれていたとしても、軽視すれば引っ掛かります。何のためにそのように書いたのかを知らなければなりません。経典は、絶対視しなければならないのです。「明らかに間違っているようなのに、なぜそのように書いたのか」と言う人がいます。それは全体を見たとき、そのように書くようになっているからです。そのように書くべきほかの事情があり、飛躍せざるを得ない内容があったということを知らなければなりません。そのように考えなければならないのです。それを理解できずに、自分が分からないことは「間違っている」と考えています。しかし、原理は千年たっても変わりません。( 1970・8・9 )



『原理講論』にある「二性性相」を、ただ何の考えもなく宣布したものだと思っていますが、この宇宙の根本を隅々まで調べ、すべて整理して語った言葉であることを知らなければなりません。

( 1973・3・13 )



男性の愛と生命の起源は、どこでしょうか。神様です。二性性相の中和的主体であると同時に、愛の根本であるお方が神様です。『原理講論』に「真の愛の起源」という言葉を入れなければなりません。入れなかったのは、その時になっていなかったからです。その言葉を入れれば、「文総裁は悪魔の素質が多いので、だますために愛という甘い言葉を入れた」と言うので、そのようなことを考えて抜いたのです。最後には、「真の愛の起源が神様である」という言葉を入れなければなりません。『原理講論』を修正できる主人公は、私しかいないのです。( 1991・11・24 )





上記のみ言は『御言訓読と霊界動員』から抜粋しました。久しぶりに読んで大変恩恵を受けています。以前何度か読んでいますが、お父様の聖和後の今読んでみると、新たな発見、感動があります。


最近シャボン玉さんが “ 天一国学術苑創立セミナーで、誉進様が発表された驚くべき内容 ” という記事を書かれてて私も読んで大変驚きました。誉進様が『原理講論は、家父長的キリスト教と儒教文化の影響で男性中心主義の誤りに陥っている』と言う論文を発表されたそうですが、この件に関してはサンクチュアリ、家庭連合どちらのブログ村でも複数の方が記事にされ話題になっています。皆さん非常に問題視されています。この先どうなっていくのか大変心配ですが、家庭連合のネットを見ない一般信徒の方はは、こんな大変なことが起きていることも知らないのではないか、と危惧するものです。


家庭連合において、もし誉進様の主張される内容が容認されたり、支持されたりするのであれば、原理講論が軽視され、今後の原理教育も変化していくと予想されます。益々お父様の教えを離れ、異端化していくということでしょう。心ある家庭連合食口の方が目覚めて立ち上がっていかれることを願うと共に、私達も今一度原理のみ言の天的価値を再認識し、さらに深く学んで実体化し、家庭教会を勝利して証を立てていきたいものだと思います。







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善神の業と悪神の業

善神というのは、神と、神の側にいる善霊人たちと、天使を総称する言葉であり、悪神というのは、サタンと、サタンの側にいる悪霊人たちを総称する言葉である。善と悪がそうであるように、善神の業と悪神の業も、同一の形をもって出発し、ただその目的のみを異にするものなのである。

善神の業は、時間がたつにつれてその個体の平和感と正義感を増進せしめ、その肉身の健康をも向上させる。しかし悪神の業は、時間がたつにつれて不安と恐怖と利己心を増進せしめ、また健康をも害するようになる。

それゆえに、このような霊的な業は、原理がわからない人にとっては、それを見分けることが非常に困難であるが、時間が経過するに従って、その結果を見て、その内容を知ることができるのである。しかし、堕落人間は、神もサタンも、共に対応することのできる中間位置にあるので、善神が活動する環境においても、悪神の業を兼ねて行う時がある。また悪神の業も、ある期間を経過すれば、善神の業を兼ねて行う時がときたまあるから、原理を知らない立場においては、これを見分けることは難しい。今日において多くの聖職者たちが、これに対する無知から、善神の働きまでも悪神のそれと見なし、神のみ旨に反する立場に立つようになるということは、実に寒心に堪えないことといわなければならない。霊的な現象が次第に多くなる今日において、善神と悪神との業の違いを十分に理解し、これを分立することができない限り、霊人たちを指導することはできないのである。

〔 原理講論 第2章 堕落論 第4節 人間堕落の結果 (4)善神の業と悪神の業 〕



最近原理講論のこの箇所がよく頭に浮かびます。どういう時にかと言うとサンクチュアリのことを

‘ 非原理的分派集団 ’ と表現されたり、家庭連合の方から ‘ 四大聖物 ’ を勧めるハガキやチラシをもらったり、ごくたまにですが公職にある方と接した時などです。かっては、共に歩んだ兄弟姉妹、アベル(の位置にいた方)、氏族などとあまりにも認識が違ってしまい、通じなくなってしまったことに哀しみを感じながら、ふとこの箇所が浮かんでくるわけです。


また、清平のことを考えた時にもこの箇所が思われます。私もかってはできる限り通っていました。最後に行ったのは2014年でした。何となくではありますが、今思えば何かちょっとおかしいと微かに感じることがあったように思います。その後いろんなことがわかってきて行くのを止めました。沢山の恩恵を感じていましたが(特に初期の頃)、お父様が許諾されてる、という一点において信じて通っていました。お父様が警告のみ言を語られるようになった時点で既におかしくなっていたと思いますし、その前からいろんな問題を内包していたんだと感じます。そしてお父様聖和後は亨進様が語られるように機能停止している、というのが事実だと思います。


しかし、今も清平には沢山の食口が通っています。夏の大役事は聖和4周年とも重なって3万もの人が訪れたとも聞いていますが、本当に複雑な気持ちになります。そして「益々恩恵が増して証が出ている」と言う家庭連合の食口の話をサンクチュアリの方にしたところ「証を捏造したりしてるみたい。それにサタンも奇跡をおこすからね。」と言われてました。私もそれはあるだろうなと感じています。そして清平もおかしくなっている、ということをいろんな情報を聞いても信じず、通い続けている食口は上記のみ言のようにある程度の目に見える結果、現象が現れなければ、気づくことができないのかもしれない、と感じています。胸の痛いことですが…




でも一方で難しくてもできる限り伝えて行かねば、伝えて行きたいという思いも勿論あります。言える機会のある方、心情因縁のある方には一度でダメでも押したり引いたり知恵を使いながら何度も言い続けていきたいと思います。神様の役事があることを信じながら… ‘ 継続は力なり ’ ですよね☺️



それでは、また。





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