泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

み言に対する絶対信仰と絶対実体

🔵真のお父様のみ言


メシヤを迎えるべきこの時に、私たちがしなければならないこととは、サタン世界のいかなる思想の侵犯も受けない、絶対的に神様のみ言を信じる信仰者にならなければならないということです。

そのような信仰者が必要です。世の中のいかなる栄光や栄華があっても、それに揺さぶられることなく、それを断ち切ってメシヤのために立ち上がれる、分立された人にならなければならないのです。そうすることによって、神様の愛の圏内に立つことができるのです。それが歴史的な公式路程です。

( 1972・3・1 )



カインとアベルを中心として見てみるとき、アベルは神様のみ言を絶対的に信じました。その次には、サタン世界から抜け出す行動をしました。サタンと一つになっていては、神様の愛を受けられません。完全に分立されて初めて、神様の愛を受けられるのです。神様のみ言を絶対的に信じ、体をサタン世界から分立しなければなりません。その次に、神様の愛を受けなければならないのです。

( 1972・3・1 )


サタンを屈服させるには、何をもって屈服させるのですか。み言と一つになった基準をもって、屈服させなければなりません。それ以外は方法がありません。堕落とはなんですか。み言と分離してしまったことです。一つになれなかったことが堕落ではないですか。ですから、蕩減復帰原則において、み言を中心として一つになることによって、人格が復帰されるのです。

人格が復帰されたということは何であり、み言と一つになったということは何ですか。堕落していない人の位置に立ったということです。その堕落していない人は、天使長を屈服させ得る権限を備えた人です。ですから、皆さんは最前線に出ていき、サタンを屈服させて戻ってこなければ、神様の愛の世界を許諾されません。それが公式です。( 1972・8・17 )



真の神様が喜び得る、信仰の立場に立ち、真の神様が喜び得る、実体の立場に立ち、真の神様が永遠の愛の対象と考え得る、喜びの立場に立ちましたか。ですから、復帰の過程においては、絶対的な信仰が必要であり、絶対的な原理を通して、絶対的な実体をつくらなければなりません。原理のみ言を通して、サタンを屈服させるのです。これが実体復帰です。その次に、メシヤのために基台を立てなければなりません。それが原理です。 ( 1973・7・29 )



実体が解放されるためには、実体がみ言と一つにならなければならず、心情が実体と一つにならなければなりません。み言が実体をもてなければ、み言を成し遂げたと言うことはできず、その実体が神様の心情と一致するまでは、サタン世界に対して、神様の代わりに闘う息子にはなれず、娘になれません。 ( 1971・4・30 )



〈 「天運と聖霊の宿る八大教材・教本」第2章 訓読生活 第1節 み言の相続

(3)み言に対する絶対信仰と絶対実体 より 〉




これらのみ言を読みながらいろんなことを考えました。このみ言のごとく生きてくださった亨進様、国進様のこと、残念ながらそうではなくなってしまわれたお母様のこと‥‥


そしてまた過去数年間の自分の歩みや内的生活を思い起こすとこの内容とはかけ離れていたと思います。かってはこのような世界を感じながら、闘いながら歩んでいたけれど、上がったり下がったり、そしていつの間にか人間的、表面的、相対的な混沌とした歩みになっていたなあ、と感じます。


そして今現在はどうかというと、この内容が非常に近くなっています。かけ離れた世界ではなく、このようになりたいし、ならなくてはいけないと思うことができる自分がいます。蘇ったということでしょう。それは、いつの間にかおかしくなって偽りの世界となっていた教会でがんじがらめになっていた、本来主管されるべきでないものに主管されていた自分が、天のお父様、真のお父様に戻ることができた故だと今はっきりと悟ることができます。


いつの間にかどんよりと曇らされていた自らの本性を蘇らせてくださった天の導きに、真のお父様の権威に戻る祝福に、そして亨進様ご家庭、国進様ご家庭に心より感謝申し上げます。






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読書の秋

異常気象なのかいつまでも夏のように暑い日が続いていましたが、ようやく秋らしく涼しくなって来ました。長い間み言以外は新聞を読むくらいでしたが、この頃はいろんなジャンルの本を読むようになりました。書店で探さなくても今はAmazonで手軽に調べて入手できるのも嬉しいですね。


最近読んでよかった本、今読んでる本、今から読もうと思ってる本をご紹介します。あくまでも個人の感想ですが……


〈 よかった本 〉

⚫︎「政府はもう嘘をつけない」 堤 未果

サンクチュアリの方に教えていただきました。‘ お金の流れで世界を見抜け!’という副題がつ

いていますが、大統領選挙の裏側、パナマ文書、TPPのことなど今の世界の動きがよくわかり、

とてもお薦めです。

⚫︎「日本人に謝りたい あるユダヤ人の懺悔」 モルデカイ・モーゼ / 久保田政男 訳

1979年に出版された本ですが、今再び注目されています。日本国憲法制定の裏側など書かれてい

ます。なぜかどんどん値段がつり上がって中古本はプレミア価格状況ですが、私は楽天で新装本

を安く買いました。「 日本人とユダヤ人」同様に著者は別の人ではないか、とか言われてるよ

うですが、一読の価値ありかと思います。



⚫︎「女性目線で徹底的に考えた 防災BOOK」 クロワッサン特別編集

実用本です。具体的で写真が多くわかりやすいです。とても参考になりました。





〈 今読んでる本 〉

⚫︎「母の肖像」 パール・バック / 村岡花子 訳

1931年「大地」を出版し、ピューリッツァー賞を受けたパール・バックによる作品です。

数十年間中国にキリスト教伝道をした宣教師の妻として故国から離れて暮らした母親のことを

書いたものです。学生時代に読んで感動したのを思い出し、Amazonで中古本を取り寄せて読ん

でいますが、 今読むと当時と違った発見が沢山あります。

パール・バックの母親の先祖はオランダ人で、祖父はオランダで宗教の自由が圧迫された時に

300人の教会員と共に故郷を捨てて大西洋を渡り、信教の自由を求めてアメリカに移住するので

すが、最初上陸したのがニューヨーク、土地を買っておいたのがペンシルバニア、そこが沼地で

住めなかったのでその後バージニアに移ります。そこで丸木小屋の教会堂を建て、木の株を説教

壇にして神様に最初の礼拝を捧げるのです。そして食糧を得るため原野を開墾していきます。

筆舌に尽くしがたい苦労です。

パール・バックの母親はその血を受け継いだのでしょう。幼い頃南北戦争を経験したたくましさ

で中国で7人産んだ子のうち4人を失いながら40年間の結婚生活の労苦に堪えます。どこに行っ

ても自給自足などもしながら家族に尽くし、明るいアメリカの母として生きる姿は感動的です。

ちなみに訳者の村岡花子は “「母の肖像」は今日までに私が読んだあまたの書物の中で最も強い

感動をもって読み終えたものの一つであり、長い間の愛読書である” とあとがきに書いて

います。


〈 これから読もうと思ってる本 〉

⚫︎「医者に殺されない47の心得 ー医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法ー 」近藤誠

これもサンクチュアリの方、医療の現場をよく知ってる方から薦めていただきました。医療も

グローバリズムの中に組み込まれ拝金主義になっているので読んでみようと思います。




今はネットから沢山の情報を得ることができ、電子書籍も便利ですが、やはり紙の本もよいですね。

どちらも親しんでいきたいと思います。





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霊界の音波が響く『天聖経』

🔵真のお父様のみ言


私は、本来、原稿をもって語ることを好まない人です。天が案内するとおりに私の口と体をゆだねて語ったので、このような歴史的な『天聖経』が生まれた、ということを知らなければなりません。それは、文総裁が一人で語ったものではありません。そのみ言をもう一度聞けば、霊界の音波が響いてくるのです。聖人、賢哲たちが同参して、補助していた心情的な内容が、そのみ言の中で長い歳月を生きて動くというのです。

ですから、『天聖経』のみ言は、常に歴史を越えるのです。千年、万年後にはどのようになるでしょうか。千年、万年後にも神様がもっと福を与えたいと思われる内容の心情が、そこには、宿っているのです。そのようなことを、ここに立っている人は知ってみ言を語ってきたということを、皆さんは知らなければなりません。

ですから、そこに題目を、天の国の「天」の字に「聖経」と書いておきました。天の国というものは、地上世界と天上世界が二つの国になっているのではありません。一つの国になっているので「天一国」というのです。「二」の字に「人」の字で「天」であり、二人が一つになった国です。ですから、『天聖経』は、「天一国」の教材になり得るという話です。( 2005・5・5 )




真の父母の前にすべて整理しなければならないのですが、真の父母の伝統を代表するその訓示は何かといえば、『天聖経』です。たくさんのみ言を縮小したのが『天聖経』です。これは、天の憲法の内容が入っていて、その次に、各分野の法の内容まで入っています。

今までは、法が設定されていなかったので、正しいか正しくないかを判別できませんでした。ですから、裁判することができなかったのですが、これは、三大審判過程であるみ言審判、人格審判、心情審判の基準を定めてくれる法なので、これを中心として天国の民か、そうでないかということを確定できるのです。ですから、その法に従って暮らさなければならない時が来ました。( 2004・6・30 )



( 「御言訓読と霊界動員」『天聖経』に関するみ言より )




上記のみ言を読んだ時に『天聖経』の測り知れない天的価値を改めて再認識すると共に、サタンはどれ程この『天聖経』を憎み消し去りたいと願っただろうか、ということを思いました。そして考えついたのがみ言の再編と称して『天聖経』を削除、改竄し骨抜きにすることだった、ということが今は明確にわかります。


赤い天一国三大経典を天一国の最高経典とし、お父様の遺言である八大教材教本を蹴飛ばしてすっかりないがしろにした家庭連合ですが、この3冊は見事にサタンの尻尾が見え見えです。後世の人の精査や研究を待たずとも、削除や改竄、コピペなどが、よく注意して見る人にはわかるようになっています。わかってみれば、どうしてこんな稚拙なことをしたんだろう、わざと尻尾を残したのだろうか、と思うほどです。


近い将来、誰もがその欺瞞性に気づく時が来るとは思いますが、その弊害、特に純粋な二世への影響が大きくならないうちに、その時が1日も早く訪れるよう心から願う次第です。





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