泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

アベル革命の同志達

久しぶりに記事を書きます。


機械音痴でかってはネットなど縁遠い自分でしたが、数年前にスマホを使うようになり入手できる情報量が圧倒的に増えました。今ではスマホとタブレットは生活に欠かせないものになりました。特にありがたいと感じるのは自宅で亨進様の説教、King's Reportを初めサンクチュアリに関するいろんな記事を読み動画を見ることができることですが、他にもいろんな情報を入手するようになりました。


以前は情報と言えば新聞、テレビ。そして教会に関しては教会が発信するもののみでありました。それらが正しいことを発信していたら何の問題もなかったのですが、新聞、テレビは偏向し、教会も真実を隠すようになってしまっていました。新聞、テレビに関しては偏向していることはわかっていました。でもお父様のみ言、教会が発信すること、勝共、平和連合などの関連機関の情報誌などにより自分達は時事問題に関して世の中の人々よりも正しい情報を得ているんだ、という意識がありました。


それは以前はある程度その通りだったかもしれませんが、今かってとは比較にならない程の情報に接するようになり、しみじみと自分が無知であった、勉強不足であったことを痛感しています。お父様のみ言に対しても、今改めていろんな教材を訓読しながら不勉強であったことを、また読んではいても理解不足で実践、体恤できていなかったことを反省するばかりです。


時事問題に関しては、目下亨進様の発信されることを中心にしながら、テレビではBSフジのプライムニュース、ネットではチャンネル桜、虎ノ門ニュース、馬渕睦夫氏の「和の国の明日を創る」、らっきーでたらめ情報局などを参考にしています。

また、サンクチュアリのブログ村ではブロガーの皆さんがいろんな記事をあげてくださっていますのでそれらも参考にさせていただいています。

その他にSNSからもいろんな情報が入ってきます。私はfacebookをしていますが繋がっている人は60人余りで多くはありません。ですから自分が何かを発信して人に大きな影響を与えることはできていません。しかしこの頃繋がっている方達の関係で貴重な情報が入るようになってきました。その方達の中でいろんな保守系の会に所属している方がおられるのでその関連の情報にも接するようになったということです。


忙しい生活の中でネットに使える時間は限られています。この頃はポイント的に特に知りたいこと、気になることに的を絞って見るようにしています。また伝道を意識して交流している方が数名います。そのようなことをしてきながら最近よく思うことは、亨進様の語られる〝アベル革命〟についてです。〝救国運動を国民運動に高め、エリート層を分立し、アベル革命を起こす〟 日本の命運はこれができるかどうかにかかっているわけですが、私は希望はあると感じています。


偏向マスコミや日教組教育、間違った歴史観などにより日本は骨抜きにされ愚民化されてきましたが、そのことに危機や怒りを感じてきた人々が今立ち上がってきています。それは政治家のみならず、弁護士、評論家、ジャーナリスト、実業家などいろんな職業の人々、そして著名人もですが一般人も危機感を感じて立ち上がってきています。トランプ大統領支持のあるyoutuberの方が〝仲間を探して繋がろう〟というようなことを言っておられますが、大事なことだと感じます。


ただ保守と一口に言ってもいろんな方がおられます。小差に拘りすぎてはいけないと思いますが私が今意識しているのは、トランプ大統領をどう見ているか、ということでその方が普通の保守・愛国者なのか、またより広い視野で世界を見つめグローバリストの存在や今世界がどのような怖ろしい方向に向かっているかを理解している方なのかがある程度わかるということです。それで三代王権に繋がる私達がそのような方と連携していければ、摂理がより進むのではないか、と考えています。


日本ではトランプ大統領に関してひどい印象操作、レッテル貼りに満ちた報道が続いており保守の方でもトランプ大統領をあまりよく思っていない人が少なくないように感じますが、そのような中でトランプ大統領を正しく理解し支持する方は貴重です。私はそのような方を特に意識していきたいし、できれば繋がって協力していきたいと思います。 名もなき市井の者でありますが、神様はいろんな出会いを準備してくださっているように感じます。全国のサンクチュアリの皆さん、共に頑張りましょう。





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祈祷したことを実践しなければ

🔵 真のお父様のみ言


祈祷したことを実践しなければ


ですから、体恤信仰がどれほど必要であるかを知らなければなりません。祈祷だけしていてはいけません。祈祷すれば実践しなければなりません。祈祷は、神様との公約です。祈祷は神様と人間との公約なので、これは誓いです。ですから、祈祷すれば必ず実践するのです。そして、一つの問題をもって毎日のように祈祷する必要はありません。心からの祈祷は一度するのです。そして、10年でも20年でも、祈祷する姿勢で、それが成された場に出会うことを慕い求める心をもちなさい。そのような心をもって暮らす人が、最も恐ろしい人です。

私がお父様の前に宣誓し誓ったので、10年、いや生涯そのことが訪れるのを歓迎する姿勢で、そのことにどこで出会うかを考えながらそれを求める人は、祈祷したことが成される場に向かっている人です。祈祷だけ10年する人よりも、一度訪ねていく人が知恵深いのです。10年してそれを見つけたとすれば、その人は既に祈祷の目的を成した位置に立つのです。ですから、実践が問題です。

その実践がどこにあるのかというと、天の国の神様の中にあるのではなく、私たちの生活圏内にあるのです。私たちの生活圏内で天国と地獄が分かれます。生活圏内で天国ができ、地獄ができるのです。皆さんの心と体を中心として行動する、ここに、プラス世界とマイナス世界が行ったり来たりするのです。

私たちの教会の周囲で暮らす人たちを見れば、そのように暮らす人は一人もいません。すべて、ぷかぷか浮かんで根のない浮草のようです。根がなければなりません。語るにしても何をするにしても、この三角関係を中心として、四位基台の目的を達成しなければなりません。皆さん、創造目的とは何ですか。四位基台の完成です。四位基台は、どこにでも通じるのです。

仕事をするときも、心と体が中心と一つになって一体を成すことができなければ、これは悪です。心と体が本当に一つになれば、それが四位基台です。仕事も同じです。四位基台が目的です。私の心と体が一つになり、その仕事と一体にならなければ、四位基台の目的が成し遂げられないので、その仕事は何の役にも立ちません。監督がいるから、誰かが見ているから仕事をするのですか。天国と地獄は、空中にできるのではありません。皆さんの生活圏内で心と体が一つになり、三対象目的圏中心として、創造原理の法度によって成されていくのです。

ですから、体恤信仰というものは、霊界から協助してするというよりも、生活圏内で鑑定し、発展させていかなければなりません。自分が被害を受けることなく前進的な信仰過程と生活過程を具備できる人は、間違いなく神様が共にいらっしゃるのです。そのように発展した人に教えてあげれば間違いないので、その人が願わなくても神様が訪ねてこられるのです。

その反面、祈祷だけして行動できない人には、神様が訪ねてこられても、また離れていくのです。ですから、体術的信仰の基盤を私たちの生活圏内で立てることが、何よりも重要であることを知らなければなりません。



( 40ー275-299、1971・2・7 )

(「後天時代の生活信仰」 第4章 体恤信仰と侍る生活 第1節 体恤信仰の重要性 より )





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神様の心情を感じて暮らす

🔵 真のお父様のみ言


神様の心情を感じて暮らす


神様が喜ばれ、悲しまれることを、常に識別しながら暮らす人は、悪なる人になろうとしてもなることができず、天の法度に背こうとしても背くことができません。そのような男性は、いくら美人が誘惑しても相対しません。そこに同化できないのです。

公的であれ私的であれ、神様が最も嫌われる人は、対人関係において、人を利用しようとする人です。そして、その次には、何でも自分の利益を中心として判断しようとする人です。神様が好まれる人は、譲歩する人です。譲歩とは、自分がその人についていくことです。その人が「こうしよう」と言う、そのとおりについていくのです。ずっとついていけば回るようになり、回ればあとから自分がその位置を占領するようになります。結局は、その人のすべてのものを占領できるのです。

ですから、常に柔和謙遜にして、その人が「こうしよう」と言う、そのとおりに従順、服従、屈服しなければなりません。それはなぜかというと、その人を完全に占領するためです。人だけを占領するのではなく、その人のすべてを占領するための作戦です。したがって、私たちの信仰世界においては、自分を否定し、その代わりに相手の要求に完全に順応していく作戦をとらなければなりません。それは、自分自体がなくなるのではなく、相手を完全に占領するための一つの作戦なのです。このようなことを、皆さんは生活で感知しなければなりません。

最近はそうではありませんが、先生は昔そのようなことをたくさんしました。道端に出て、通り過ぎる人を見ながら、どのような感じがするかを調べるのです。「あの人は間違いなくこうだ」と思うとき、それが本当に当たっているかいないか、ついていって確かめてみるのです。「あなたはこうでしょう?」と尋ねてみます。それは、霊界で教えてくれるのではなく、自分の心が既に知っているのです。それで、「あなたはこのような人ですね」と尋ねてみれば、「どうして分かるのですか」と驚くのです。間違いなく当たります。じっと座って、あの部屋に誰がいるのか、良いことをしているのか、悪いことをしているのか、良い人が暮らしているのか、悪い人が暮らしているのかを、すぐに知ることができるのです。皆さんもアンテナをだんだんと高めていって、そのように発展させなければなりません。ですから、宇宙のすべての因縁に従って識別する鑑別士の生活が、信仰者の生活です。



( 「後天時代の生活信仰」 第4章 体恤信仰と侍る生活 第1節 体恤信仰の重要性 より )






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