泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

水澤里でのお父様のみ言ー神様への祭壇、サタンへの祭壇

1994年だったと思います。私は水澤里の修練会に参加しましたが、その時一生忘れられない体験をしました。


真のお父様が大講義室に入って来られた時、私はアボジロードの脇の床に座っていました。そしてお父様がそこを前から歩いて来られた時に、突然あることを思い出したのです。


それはその前年のアラスカ修練会に参加した時のことです。その修練会でお父様は「みんなこれから伝道するか? 1か月に1人伝道すると決意する者、約束する者は手を挙げて!」と言われ、ほぼ全員が手を挙げました。私も手を挙げたのです。その時のことを思い出しました。その後の結果はと言えば1人も伝道できていませんでした。そして急に負債感が湧き上がり「しまった!私はこんな所に座るべきではなかった。お父様との約束も守れてないのにアボジロードの側に座るなんて何と図々しく恥ずかしいことをしてしまったんだろう」と思ったのです。そして負債感、後悔と共に近づいて来られるお父様を見ながら急に恐怖感が生まれて来ました。「お父様はこんな情けない私のことを見抜かれるに違いない。怖いな。お父様怖い。怖い…怖いな…」幼く愚かな私は何故かそのような考えで一杯になって近づいて来られるお父様を見つめていました。


そしてお父様が私の横を通られた時のことです。ゆっくり歩きながらみ言を語っておられたのですがすれ違うときに私の頭に手を置かれました。それは一瞬のことでしたがその時こう言われました。

「怖いのは先生ではありません。」びっくりしました。そして歩き続けながらこう語られたのです。

「怖いのは自分自身の心です。自分の心が神様への祭壇にもなれば、サタンへの祭壇にもなるのです…」


お恥ずかしい話ですがその前後のみ言はほとんど覚えていないのですが、この箇所は私にとって生涯忘れられないみ言となりました。あまりのタイミングだったのでお父様は私の心を見抜かれ、戒めをくださったと思ったのです。あれから20数年になりますが、折に触れてはこの時のことを思い出し自分を正すようにしてきました。


そして最近またこの時のことを鮮明に思い出すようになりました。4300双に向かうにあたって自分自身の動機と心情が大切だと考えていた時に、また今の善悪交差する大変な世界情勢のことやトランプ氏やクリントン氏、いろんな人々のことを考えていた時に、家庭連合の幹部の方々の行動や言動に接した時に…


どんな動機で行動するのか、動機と心情、自分自身の心によって、それが神様への祭壇になるか、サタンへの祭壇になるのか。お父様は実に端的で素晴らしいみ言をくださいました。自己中心なのか、為に生きる心なのか、自己保身なのか自己犠牲なのか、物欲、金銭欲なのか神様への信仰なのか、真の愛なのか、実績追求なのか…世の中や人々を見つめる時に、また自分自身を見つめる時にこのみ言はいろんなことを鮮明にしていきます。


神様への祭壇にも、サタンへの祭壇にもなる自分の心……生涯肝に命じていきたいと思います。





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