泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

霊界の音波が響く『天聖経』

🔵真のお父様のみ言


私は、本来、原稿をもって語ることを好まない人です。天が案内するとおりに私の口と体をゆだねて語ったので、このような歴史的な『天聖経』が生まれた、ということを知らなければなりません。それは、文総裁が一人で語ったものではありません。そのみ言をもう一度聞けば、霊界の音波が響いてくるのです。聖人、賢哲たちが同参して、補助していた心情的な内容が、そのみ言の中で長い歳月を生きて動くというのです。

ですから、『天聖経』のみ言は、常に歴史を越えるのです。千年、万年後にはどのようになるでしょうか。千年、万年後にも神様がもっと福を与えたいと思われる内容の心情が、そこには、宿っているのです。そのようなことを、ここに立っている人は知ってみ言を語ってきたということを、皆さんは知らなければなりません。

ですから、そこに題目を、天の国の「天」の字に「聖経」と書いておきました。天の国というものは、地上世界と天上世界が二つの国になっているのではありません。一つの国になっているので「天一国」というのです。「二」の字に「人」の字で「天」であり、二人が一つになった国です。ですから、『天聖経』は、「天一国」の教材になり得るという話です。( 2005・5・5 )




真の父母の前にすべて整理しなければならないのですが、真の父母の伝統を代表するその訓示は何かといえば、『天聖経』です。たくさんのみ言を縮小したのが『天聖経』です。これは、天の憲法の内容が入っていて、その次に、各分野の法の内容まで入っています。

今までは、法が設定されていなかったので、正しいか正しくないかを判別できませんでした。ですから、裁判することができなかったのですが、これは、三大審判過程であるみ言審判、人格審判、心情審判の基準を定めてくれる法なので、これを中心として天国の民か、そうでないかということを確定できるのです。ですから、その法に従って暮らさなければならない時が来ました。( 2004・6・30 )



( 「御言訓読と霊界動員」『天聖経』に関するみ言より )




上記のみ言を読んだ時に『天聖経』の測り知れない天的価値を改めて再認識すると共に、サタンはどれ程この『天聖経』を憎み消し去りたいと願っただろうか、ということを思いました。そして考えついたのがみ言の再編と称して『天聖経』を削除、改竄し骨抜きにすることだった、ということが今は明確にわかります。


赤い天一国三大経典を天一国の最高経典とし、お父様の遺言である八大教材教本を蹴飛ばしてすっかりないがしろにした家庭連合ですが、この3冊は見事にサタンの尻尾が見え見えです。後世の人の精査や研究を待たずとも、削除や改竄、コピペなどが、よく注意して見る人にはわかるようになっています。わかってみれば、どうしてこんな稚拙なことをしたんだろう、わざと尻尾を残したのだろうか、と思うほどです。


近い将来、誰もがその欺瞞性に気づく時が来るとは思いますが、その弊害、特に純粋な二世への影響が大きくならないうちに、その時が1日も早く訪れるよう心から願う次第です。





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