泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

『原理講論』に関するみ言

🔵真のお父様のみ言


『原理講論』は劉協会長が書いたのではありません。1ページ1ページすべて鑑定を受けたのです。私が許諾しなければ、それに手を出すことはできません。

もし間違って書かれていたとしても、軽視すれば引っ掛かります。何のためにそのように書いたのかを知らなければなりません。経典は、絶対視しなければならないのです。「明らかに間違っているようなのに、なぜそのように書いたのか」と言う人がいます。それは全体を見たとき、そのように書くようになっているからです。そのように書くべきほかの事情があり、飛躍せざるを得ない内容があったということを知らなければなりません。そのように考えなければならないのです。それを理解できずに、自分が分からないことは「間違っている」と考えています。しかし、原理は千年たっても変わりません。( 1970・8・9 )



『原理講論』にある「二性性相」を、ただ何の考えもなく宣布したものだと思っていますが、この宇宙の根本を隅々まで調べ、すべて整理して語った言葉であることを知らなければなりません。

( 1973・3・13 )



男性の愛と生命の起源は、どこでしょうか。神様です。二性性相の中和的主体であると同時に、愛の根本であるお方が神様です。『原理講論』に「真の愛の起源」という言葉を入れなければなりません。入れなかったのは、その時になっていなかったからです。その言葉を入れれば、「文総裁は悪魔の素質が多いので、だますために愛という甘い言葉を入れた」と言うので、そのようなことを考えて抜いたのです。最後には、「真の愛の起源が神様である」という言葉を入れなければなりません。『原理講論』を修正できる主人公は、私しかいないのです。( 1991・11・24 )





上記のみ言は『御言訓読と霊界動員』から抜粋しました。久しぶりに読んで大変恩恵を受けています。以前何度か読んでいますが、お父様の聖和後の今読んでみると、新たな発見、感動があります。


最近シャボン玉さんが “ 天一国学術苑創立セミナーで、誉進様が発表された驚くべき内容 ” という記事を書かれてて私も読んで大変驚きました。誉進様が『原理講論は、家父長的キリスト教と儒教文化の影響で男性中心主義の誤りに陥っている』と言う論文を発表されたそうですが、この件に関してはサンクチュアリ、家庭連合どちらのブログ村でも複数の方が記事にされ話題になっています。皆さん非常に問題視されています。この先どうなっていくのか大変心配ですが、家庭連合のネットを見ない一般信徒の方はは、こんな大変なことが起きていることも知らないのではないか、と危惧するものです。


家庭連合において、もし誉進様の主張される内容が容認されたり、支持されたりするのであれば、原理講論が軽視され、今後の原理教育も変化していくと予想されます。益々お父様の教えを離れ、異端化していくということでしょう。心ある家庭連合食口の方が目覚めて立ち上がっていかれることを願うと共に、私達も今一度原理のみ言の天的価値を再認識し、さらに深く学んで実体化し、家庭教会を勝利して証を立てていきたいものだと思います。







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