泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

『平和神經』

🔵真のお父様のみ言 〔 天運と聖霊の宿る八大教材・教本 29〜31p 〕



● 真の父母様が、一生の間苦労して闘い、勝利の命題をもたらした、このような最終結論の贈り物は何かというと、『平和神經』です。このみ言を覚えるように耽読し、生活の指標として、生涯の目標とするのです。これは、真の父母様が世の中と皆さんに語る遺言のみ言であり、別れの挨拶の言葉であることを知らなければなりません。( 2007・9・23 )



● 『平和神經』の「神」は示偏に「申」なので、「神經」とは報告の道です。平和の神様と真の父母が事実のように見せてくださる道を「神經」というのです。ですから、寝ても覚めても、御飯を食べるよりも、これを重要視しなければなりません。

先生も、ここに出てくるとき、目を閉じてさっと開いた所を読んでみれば、なぜか、きょうすることと全て合うのです。不思議です。御飯を食べることよりも、寝ることよりも、呼吸することよりも、必要不可欠な所有物として、永遠に保持しなければならない参考書と同じです。( 2009・1・1 )


● 『平和神經』の最終目的は神様です。神様の啓示のみ言です。霊界の教材が『平和神經』だというのです。この教材を作るのに、7年以上かかりました。歴史が変わっても、教材は変わることがありません。( 2009・9・23 )


● 『平和神經』は、「平和を教える聖書」です。そのように解釈すれば、一番良いのです。今から皆さんは、この本を読んで自分で努力して創造していかなければなりません。神様がつくってくださったものをもらうだけでなく、神様がどれほど苦労されたかということを知らなければなりません。自分の子孫が教材として使えるようにしなければならず、自分たちも教材として使わなければなりません。( 2007・6・23 )


● 先生のみ言以外は、絶対に信じてはいけません。あなたたちの言葉を付け加えることを最も嫌うのです。原理もそのままです。先生と神様が祝福して印を押した文書を改ざんできますか。『平和神經』を読むときも、自分勝手に読んではいけません。絶対視しなければならないのです。先生よりも絶対視しなければなりません。皆さんの子孫の何千、何万代までも、愛し、敬うことができる内容が入っているのです。( 2007・2・27 )





これらのみ言を読んで私はとても悔い改めさせられました。『平和神經』が神様とお父様がどれだけご苦労され精誠を尽くして作ってくださったものか、どれだけの深い思いが込められていたのか、本当に自覚が足りなかった、感謝が足りなかったと思います。


そして「神經」という言葉の意味を改めて思った時に、これを「平和経」に変えてしまうということは怖ろしい暴挙であったと思わざるをえません。最後のみ言に “ 先生と神様が祝福して印を押した文書を改ざんできますか ” とありますが、これは決して人間的に判断してはならない重要で深刻な問題であり、亨進様が ‘ 神聖冒涜 ’ という言葉を使われる意味、理由を改めて実感する次第です。


今後平和神經を訓読する時は、このようなお父様のみ言に思いを馳せながら、深い感謝の心情で取り組んでいきたいと思います。



では、また。




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