泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

原点回帰してリスタート

すさまじい猛暑もようやく少し和らいできたようですが、まだまだ残暑厳しいこの頃ですね。皆様いかがお過ごしでしょうか。



先日サンクチュアリの姉妹達と集会をしました。前半は秋に予定している講演会に向けての勉強会、そして後半はランチしながらの親睦会でしたが、和気藹々であっと言う間に時が過ぎ、「もう、こんな時間?」という感じでした。


6名集まったのですが、サンクチュアリに来たのは、2人が2016年、1人は2017年、そして3人は今年になって来られた方たちです。そしてそのうち1人は1週間前に退会届を出したばかりの方でした。その方が数日前に夢を見たと言われます。どんな夢かと言うと、今20代後半の息子さんが2歳位の時の姿で出てきた夢だったそうです。そして「私は息子が2歳の年にUCに来たんです」とのことでした。


それを聞いて咄嗟に私は「それは原点に帰って今から再出発、と言うことなんでしょうね」と言い、ご本人も「そうでしょうね」と答えておられましたが、私は帰宅してからもその後も、この原点という言葉が心にずしりと残りました。



折しもその翌日8月25日は主人と私が参加した3万双の祝福記念日でありました。早いもので26年になりますが、当時UCがこのようになるとは、誰も夢にも思わなかったことだろうとしみじみ感じます。その後今日に至るまで実にいろいろなことがあったことを思い出しますが、確かに2005年を越え2010年に近づく頃には、〝何かおかしい〟と微かにではありますが、感じることが増えてきたのでした。



私自身教会の組織の中にいながらも、お父様のみ言に沿って訓読家庭教会をなしたいとずっと切望しつつ、中々思うようにできないことに焦燥感を抱いて歩んでいました。伝道が思うように進まず氏族メシアもできていないままに今日に至っています。正に「日暮れて道遠し」の感がありますが、これは諦める訳にはいきません。



〝原点回帰〟という言葉が心に浮かび、意味を確認してみました。



原点回帰……初心や基本に帰ること、または立ち戻ること、物事の起源や出発点に帰ることを指す。



私たち統一食口にとって原点とは何でしょうか、原理に出会い、再臨のメシア、キリストである真のお父様に出会ったことではないでしょうか。そして神様とメシアであるお父様と共にある人生を歩もうと決意したことではないでしょうか。



うちが退会届を出す時に主人が言った言葉を思い出します。「教会を信仰してきたわけではない。原理とメシアであるお父様を信じて来たんだ。神様とお父様がおられる所に行く」


韓お母様がお父様の対象の位置を離れることをされず、お父様のみ言と伝統を守っておられたならば、そしてお父様が代身者・相続者として戴冠され、祝祷された方、つまりメシアが油を注いだ方を追放され自らが権力を握り、そして女メシアを自称して原理を歪めることをされなければ、教会が分かれることはなかったでしょう。



私はサンクチュアリに来て本当に心が解放されました。それは天のお父様と真のお父様がおられる所に来て関係性を回復できたことを実感するからです。過去を振り返れば虚しく申し訳ない歩みに感じることも沢山ありますが、すべてをご存知の天のお父様と真のお父様が導いてくださったことを思えば、ただただ感謝に絶えません。もう若くはありませんが、肉身あるうちに来れたことが感謝ですし、私よりもずっと年上の先輩達が精力的に歩まれている姿に勇気をいただいています。



サンクチュアリに来られた方にはいろんな人がおられます。活発に動いておられる方も、過去の傷が簡単には癒えず中々前に進めない方もいるようです。後者の方に関しては連合時代にあまりにもつらい思いをされた恨があられるかと思いますが、その傷は神様とお父様との関係性によって必ず癒されるのではないでしょうか。今日の教会長の礼拝説教は「真のお父様の心情と心臓を持つ者」でしたが、本当に原点に帰らないといけない、と思わされる内的な深い内容でした。



神様とイエス様、真のお父様と亨進二代王様のことを知れば知るほど、心情世界に近づくほど復活し、力を与えられる私たちではないかと思います。これから全ての兄弟姉妹が原点回帰して復活体となり、喜びと感謝で歩まれることを心よりお祈り申し上げます。






よかったら、クリックお願いいたします🐚

×

非ログインユーザーとして返信する