泉のほとりに

聖歌38番のように私たちの内なる力を湧きたたせ御国を目指していきましょう。共に泉のほとりに集いましょう。導かれるままに綴っていきたいと思います。

繰り返される過ち

最近聖書や原理講論を読んで思うことは、繰り返されてはならない過ちがまた繰り返されている、ということですが、このように感じる方は少なくないと思います。私たち統一食口は原理を学び、復帰歴史を学んで、歴史の中で過ちが繰り返され摂理が延長してきたことを知るようになった訳ですが、その教訓を生かすことにおいては、あまりにも不足でありました。そしてお父様のみ言に対しても不注意で怠慢であったと言わざるをえません。



原理講論の中では次の箇所がよく心をよぎるこの頃です。



イエスが「天の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました」( マタイ11・25 )と言われたのは、当時のユダヤ教界の指導者層の霊的な無知を嘆かれたと同時に、無知ではありながらも、幼な子のごとく純真な信徒たちに天のことを教示してくださった恩恵に対する感謝のみ言であった。そのときと同時性の時代にあたる今日の韓国教界においても、それと同じ事実が、より高次的なものとして反復されているのである。神は、幼な子のような平信徒たちを通じて、終末に関する天の摂理の新しい事実を、多く啓示によって知らされておられるのである。しかし、彼らがその内容を発表すれば教職者たちによって異端と見なされ追放されるのでそのことに関しては、一切発表をせずに秘密にしているのが、今日の韓国キリスト教界の実情である。あたかもかっての祭司長や律法学者たちがそうであったように、今日の多くのキリスト教指導者たちは、聖書の文字を解く知識のみを誇り、多くの信者たちから仰がれることを好み、その職権の行使に満足するだけで、終末に対する神の摂理に関しては、全く知らないままでいるのである。このような痛ましい事実がまたとあろうか。

( 原理講論 第6章 再臨論 第3節 (4)595p)



今の現状に酷似していて驚くばかりです。

また、お父様は遺言と言われた八大教材・教本の一つである「平和の主人・血統の主人」の中で

次のように語られています。




一秒間で世の中が変わること


時代は移り変わりますが、皆さんの暮らす生活環境は変わりません。私たちは、昼と夜の分かれ目に気づかないように、春と夏が一秒間で変わることに気づきません。零時前と零時後の一秒を中心として気づかないのです。きのうときょうは、同じ日のように続いていますが、新しい日と新しい時代、新しい世界へと転換します。歴史も同じです。先天時代と後天時代が一秒を中心として分かれますが、それをとらえることができないのです。


( 「平和の主人・血統の主人」13p 2009年7月7日 )




新しい真理を学んだと自負していた統一食口でありましたが、時の流れと共に過去の宗教者たちが犯した過ちを繰り返してはいないでしょうか。絶対信仰と言いながら教条主義になり、固定観念の虜になってはいないでしょうか。




〈 教条主義とは 〉

状況や現実を無視して、ある特定の原理・原則に固執する応用のきかない考え方や態度。特にマルクス主義において、歴史的情勢を無視して、原則論を機械的に適用しようとする公式主義をいう。ドグマチズム。

( デジタル大辞泉より )




上記の内容は現在の家庭連合の状況にあまりにも酷似していますが、私たち三代王権に繋がらせていただいた者においても、過去の教訓を胸に刻み、謙遜と柔和を心がけ、お父様のみ言、聖書のみ言、亨進様のみ言によって、常に自らの信仰を正していくよう心がけていきたいものです。







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